障子のつくる静けさ

2020-07-09 21:45:00 | 片倉の家


20年ぐらい前だったか、もうずいぶん前のことですが、印象的なテレビCMがありました。
曇天の空から小雪が舞い降りてきて、それを見た男性がいそいそと家路につくところからCMは始まります。
玄関にたどり着き室内に飛びいるや、暗い廊下をどんどん奥へ。
襖をさっと開けると、雪明りに仄明るい一面の障子の姿が現れます。
そっと障子に近寄り、息を呑むようにしてそっと障子を開けると・・・。

当時のパナソニックの高画質テレビのCMだったと思います。
ぼくはその仄明るい障子がつくりだす静けさに、なんだかとても見入りました。

パリでサントシャペル教会の圧巻のステンドグラスを見た時も、脳裏をよぎったのはモノクロームの障子の静謐さでした。
その向こう側にあるものを見えなくし、仄かな音や影だけが室内にそっと入ってくる。
そして同時に、室内にあるものの質感に趣きをもたらしてもくれます。
床板やテーブルの木目が、食器の艶が、料理の湯気が、なにか特別のもののように浮かび上がります。
身近にある、あたりまえのものこそが美しい。
そんなことを気づかせてくれるような気がします。

写真は「片倉の家」より。




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障子のある室内

2019-10-11 22:46:45 | 片倉の家



写真は、「片倉の家」の室内。天井は徐々に下がってきて、窓辺の天井高さは約180センチほどの、背丈よりも少し高いくらいに抑制されています。
それが、何か包み込まれるような居心地の良さをつくりだしてくれます。

無垢のブラックチェリーの床板に、ペンキ塗りの壁と天井。たったそれだけの窓辺の空間に、ダイニングテーブルがポンとひとつあるだけの、簡素な室内。
素材が少ない分、それぞれの風合いが引き立ちます。
ダイニングテーブルは、山桜の木を使って家具職人に作ってもらいました。

窓の外の風景が見えるのもよいけれど、風景が見えず、自然光だけがはいってくる室内の雰囲気も、ぼくはとても好きです。
たとえば障子を閉めた時。
深い陰影とともに、しんとした静けさが訪れます。窓からは障子越しに抑制された光がじわっと入ってきて、テーブルや床板の木目がぐっと引き立ちます。
この窓辺があればいい。そんな風に思える充実感があり、同時に、なんだか眠くなってくるような安心感があります。

窓の外では、雨足が強まってきました。もうすぐ大きな台風がくる予報。
家は安心できる場所でありたい。つくづくそう思います。

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久々の集い

2014-12-08 18:36:55 | 片倉の家

 
 「片倉の家」ができあがって半年ほど。施主のIさんから食事会にお招きいただきました。
施工を担当くださった栄港建設の関係者、そして大工さん親子と久々の再会となりました。
みなさん、現場で見かけるのとは異なり正装で、ちょっと不思議な雰囲気です。
 
 
 八畳間に集い、お茶を一服いただきました。
建て替える以前から残っていた茶室を引き継ぐように、新しい和室にも炉が切られました。和室は決まりがあるようでいながら自由なもの。
敬愛する建築家・村野藤吾の言葉を思い起こしながら、重くなく、明るく、それでいて趣のある雰囲気にしたいと思って、造作の取捨選択を吟味して設計しました。
それを形にしてくださった棟梁親子の仕事は極めて厳密なものでした。
工事監督や大工さんと現場で交わした、ああだこうだの話が、もうずっと昔のことのよう。穏やかな陽光で明るく照らされた室内の、平穏な時間。
すべてはこのような時間のためにつくったものでした。


 
 棟梁の講釈は尽きるところがない(笑)のですが、それを聞きながら、棟梁の皺に刻まれた何十年というキャリアに思いを馳せずにはいられませんでした。
また、仕事をお願いする機会に恵まれるのだろうか。

 技は見せつけるのではなくて、技は消すもの。そのようなことが、素朴でありながら洗練を感じさせるものに近づく奥義なのかもしれません。
少しでもそのようなものに近づけたかどうか。

 いずれにしても、気持ちよく時間を過ごすことができました。これから何年、何十年と、変わらず平穏な雰囲気がこの家に宿り続けることが予感できたので、なんだかじいんと嬉しくなりました。
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サン・ダミアーノの面影

2014-04-28 21:32:29 | 片倉の家

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「片倉の家」は、最寄駅を降りてから、なだらかな坂道をずうっと歩いていった先にある、丘の上に建つ家です。一部の工事を残して、ほぼすべてできあがりました。最後は現場も慌ただしくなってしまったけれど、それでも、この現場に来ると感じられる静かな雰囲気が好きでした。

施主にお会いし、いろいろなお話を聞いて設計をすすめるなかで、いつしか心の奥底の方で、あるひとつの史跡のことが明滅するようになりました。

中部イタリア アッシジの街はずれにある修道院、サン・ダミアーノ。聖フランチェスコに師事した尼僧 聖キアラが生涯暮らした、簡素で小さな修道院です。この場所のことをよりよく知ったのは、エリオ・チオルの写真集「アッシジ」や、作家・須賀敦子さんの著作によってでした。須賀さんにとってサン・ダミアーノは特別な場所だったそうです。

今も当時の面影そのままに残るこの修道院についての写真を見ていると、一見どうということはなさそうだけれど、しばらくすると「効いて」くる独特の雰囲気があります。この場所があればいい。そんな風に思えるような雰囲気に満たされていました。漠然としたそのようなイメージに近づこうとしながら家の設計をするのはとても難しかったのですが、そのようなイメージを体現できたかどうか、少し時間をかけながら感じ取りたいと思います。

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この家では一日の時間の流れが、太陽の動きとともにゆっくりと感じられます。午後になり陽がゆっくりと傾いて西の方から光がやってくるようになると、障子を通した光は、室内の勾配天井に独特の穏やかな色調をもたらしてくれます。そういえばアッシジの街並も、夕日を受けて独特の趣きをもつということを、須賀さんが美しい文章に書いていたっけ。もう一度、読み返してみたくなりました。

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