2019年7月10日(水)に再放送された映画「ALWAYS続・三丁目の夕日」を観ました。前に放送された時にも観た記憶がありますので、2回目だと思います。
詳しいことは、下記のウェブサイトを見て頂くことにしますが、前作の終了時点から4カ月後の昭和34年(1959年)春の夕日町三丁目に住む人々の姿を描いているそうです。
この年、私は高校を卒業して就職し、2年目です。この頃、中学校を卒業して都会の企業等に就職する人たちは「金の卵」といわれました。あれから60年も経ったのですね。懐かしくもあり、「感無量」です。
今作の続編として『ALWAYS 三丁目の夕日’64』が制作されていますが、7月 日に放送されるそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ALWAYS_続・三丁目の夕日
(上)鈴木オートの鈴木則文(堤真一)[下左]と鈴木トモエ(薬師丸ひろ子)の息子・一平(小清水一輝)とそこの店員・星野六子(堀北真希)。[下右]大田キン(もたいまさこ)]
(上の右端は鈴木トモエ(薬師丸ひろ子)、一人置いて鈴木大作(平田満)の娘・美加(彩夢)、左前列は、古行淳之介(須賀健太)[実父と思われるのが、王手興産社長・川渕康成(小日向文世)]。
この映画序盤に、大地震に驚いて命かながら逃げようとする人々の様子が描かれている。その震源は、1954年に公開され映画『ゴジラ』のゴジラ(フルCGで登場)。東京タワーが倒壊する様子も描かれている。
(上)子どもを連れ戻しに来た王手興産社長・川渕康成(小日向文世)と社長秘書・佐竹幸弘(小木茂光)。
(上) 鈴木オートの店主・鈴木則文(堤真一)の親戚・鈴木大作(平田満)とその娘・美加(彩夢)。娘を預けに来た。
(上)かつて茶川竜之介(吉岡秀隆)と同棲していた石崎ヒロミ(小雪)の勤めている劇場の楽屋。手前は先輩同僚の踊り子・梅子(手塚理美)。中は踊り子・メリー(貫地谷しほり)、その左は踊り子・チエミ(藤本静)。
(上)中島巡査(飯田基祐)と医者の宅間史郎(三浦友和)。
(上)昭和34年、当時庶民の社交場であった銭湯(せんとう)。(下)暑い夏の日、ステテコ姿の鈴木則文(堤真一)。
(上)当時、唯一の国際空港であった羽田空港に王手興産社長・川渕康成(小日向文世)を見送る茶川竜之介(吉岡秀隆)。
鈴木オートの店員・星野六子(堀北真希)と同郷で一緒に上京した中学校の同級生・中山武雄(浅利陽介)。浅利陽介は、現在、TVドラマ「相棒」にレギュラー出演している。
昭和34年当時、活況を呈していた映画館。当時ヒーローだった日活の映画スターである石原裕次郎も登場する。石原裕次郎主演「嵐を呼ぶ男」は昭和33年(1958)に公開。この頃の大学卒の初任給は1万2,000円~1万3,000円。勤労者世帯の実収入は月に3万4,000円。12/1、初の一万円札が発行される。図柄は聖徳太子の肖像。昭和59年11/1、福沢諭吉の肖像入り一万円札に変わるまで続いた。(上のポスターの「錆びたナイフ」(3/11封切り、配給収入:2億円=現在の金額に換算すると約10倍の20億円。当時の裕次郎のギャラは、日活専属料300万円(年間)、1本の出演料150万円。=頸文社編集部編『さらば裕次郎・愛と青春の揮跡』より]
(上と下)日本橋の上で再会した鈴木トモエ(薬師丸ひろ子)と山本信夫(上川隆也)。抑留されていたシベリヤから5年前に帰国したという。もと恋人同士。
(上右から・吉田自転車の店主(温水洋一)、詐欺師・牛島(福士誠治)、丸山精肉店の店主(マギー)。
(上)茶川竜之介(吉岡秀隆)と同棲していたことがある石崎ヒロミ(小雪)、今は踊り子をして暮らしている。
(上)当時国鉄が運転を開始したばかりの20系型特急電車「こだま」に乗って、東京駅から名古屋に向かう石崎ヒロミ(小雪)。
(上と下)茶川竜之介(吉岡秀隆)と石崎ヒロミ(小雪)が共に暮らしていた頃の追憶のシーン。
(上)鈴木オートの息子・一平(小清水一輝)が、父の親戚の娘と別かれるとき、当時、子どもたちに人気があった24色のクレヨンを贈る。
(上と下)鈴木オート一家で、東京タワーの頂上展望台に上り見学。昭和33年(1958)12/23東京タワー完成。高さ333m、塔ではエッフェル塔(316m)を抜いて世界最高。
(下3つ)今も出版されている、この映画の原作漫画、西北良平(さいがん・りょうへい)著「三丁目の夕日・決定版(昭和の町角)」(小学館2018年4月25日 初版第1刷発行)
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