ランシモ

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我が家の石仏(お地蔵さん)

2018-10-05 21:08:09 | 日記・エッセイ・コラム

我が家には4体の石仏(お地蔵さん)がある。

大昔からあったわけじゃなくて、30年ぐらい前に近所が再開発されて、広い土地を持っていた石屋さんが引っ越していった時からです。

お風呂屋さんや、牛乳やさん、お豆腐屋さん、乾物屋さん魚屋さんもろもろが大久保通りからなくなった。

ある時、トラックに廃材などを満載した上に、お地蔵さんを積み込もうとしていた。

「それ、どうするの?」と聞いたら、廃材と一緒に捨てるという。

「そりゃいけません、私がそのお地蔵さんを引き取ります」

と言って、4体いただいてきた。

近くの鎧神社の神主さんに、3万円でお祓いを頼んだ。

この地で仕事をしだしたら、お客さんが「こんなところにお地蔵さんがある!」とびっくりするようになった。

近所の方も「草に埋もれさせたら罰が当たるよー!」とおしかりの言葉が、、、。

「少しはお地蔵さんの周りをキレイにしなさい」とよく言われます。

でもねーーーお地蔵さんを助けたのは私ですよーーー。

お地蔵さんに恨まれることはないと思うのだが、、、。

それで数年前から、お地蔵さんの前にお供えを置けるように、陶器の丸いテーブルを置いています。

だれかお賽銭でも置いていかないかと、期待しているのだ。

いきさつを知らない人は、これを見てキット大昔からあったんでしょうね、、、と話していきます。

「4体のお地蔵さんの云われは私は知りませんが、ここに引っ越してくる前からあったんですよー」と言うようにしています。

の気持ちを裏切っちゃ悪いでしょ。

しめ、しめ、何か由来の案内板でも立てて小さな祠でも作るか。

それくらいはお手のもんですからね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、、、。

むかしむかし、ここが柏木村だったころ、あたりにはつつじが群生していて、園芸で生を営んでいる者があったそうじゃ。

柏木村は武蔵野台地のはずれじゃが、練馬の大地と同じように稲作はできず畑だけだった。

ある年に日照りが続き、生まれて間もない赤ちゃんが育てられずに、大勢なくなったそうだ。

それの供養に、村にいた腕利きの石屋さんが、、、魂を込めて1体、1体と彫ったそうじゃ、、、。

なんて、話をでっちああげようーーー!

「100遍お参りすると良い子に育つ」なんて風評をどうやって立てられるのかな???

アイデアと想像力の時代ですから。

コメント
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