ベートーヴェン作曲《大フーガop.133》、巨人作曲家の最晩年の作品を、初めて楽譜を見ながら演奏を聴いてみました。すると、この作品が特別なわけではない、まぎれもなくベートーヴェンによる作品であること、彼の歩んできた道に外れず、ちょっと先を進んだ位置にある音楽であると思われました
ベートーヴェンが「アウフタクト」をとっても好んだ作曲家であったことが、最晩年の作品《大フーガ》に反映されていると言えるでしょうか!? アウフタクトの感覚を持たずして、この音楽は演奏できず、聴く側もその覚悟をもって協調する時、この難解な音楽の紐が解ける!?
ベートーヴェン《大フーガ》を聴きながら、ここには後期《ピアノソナタ》はもちろん、《第9交響曲》の顔がよぎるような瞬間が垣間見られました。1拍目の無いリズムや、移り変わるテンポなど。厳格であり自由である天才の境地!?
それにしてもベートーヴェン《大フーガ》に、「f(フォルテ),f,f,f,f,f,f,f」の多いこと! 最晩年の人間が書いたものとは信じがたい!?元気溢れる音楽性が認められます。死に行く人間にはとても見えない(笑)ベートーヴェンの凄まじい生命力をあらためて実感させられました!
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「自分で考えなさい」という教育の仕方に違和感を覚えること少なからず・・・その理由は、相手の中に答えがあって、考えれば出てくるであろうことが予測される場合は効果があるだろうが、相手の中にまだ自分で考えるための材料が無いような場合には、無責任な教育では?と考えました
相手が、まだ知らないことなのか、既に知っていることなのか(知っているけど合点いっていない状態?)、これを見定めて適切に指導できたらよさそう、と思いました。 見定める!?いやはや簡単ではなさそう・・・