…ブラームスを、たったの一頁でまとめてしまった文章!?
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2017年12月13日 - 01:28
(吉田秀和著『私の時間』より) pic.twitter.com/KDXQvL1CmY
あらゆる経験をいかにして行い、それらをいかに利用し、我々の精神の力をいかに完成し使用するかということは、それほど一般に知られておらず、また承認されているわけではない。-客観と主観の仲介者としての実験-
— ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (@J_W_Goethe_jp) 2017年12月13日 - 00:30
カール・ベームのようなフタコブラクダが、モーツァルトとベートーヴェンの傑出したスペシャリストだという。彼はオーケストラのホルン奏者たちが曲の本質を覆い隠すほど強く吹きすぎる、ということに気づきさえもしないのに
— チェリビダッケbot (@Celibidachebot) 2017年12月12日 - 12:18
神よ、フルトヴェングラーが今日も指揮台にのぼり、ゆったりとしたテンポを我々に示してくれるならこんなに喜ばしいことはない!生涯彼を苦しめたのは「あまりにも遅すぎるテンポ!」という人々がいることであった。なんという言い草だろうか!こんなとんまたちは彼の演奏の3分の1もわからない!
— チェリビダッケbot (@Celibidachebot) 2017年12月12日 - 08:19
こうしてこそ、絶対音感をも育てることができる。そして、人を音楽の愛好者、理解者にするものも、能動的に音楽することを覗いて他にはない。聴くだけでは不十分である。
— Kodály Zoltán (@Kodaly_bot) 2017年12月13日 - 00:12
類比は二つの錯誤を恐れなければならない。一つは、機知に耽って無に帰すること。もう一つは、隠喩や比喩で身を包むこと。しかし後者のほうが害は少ない。-箴言と省察-
— ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (@J_W_Goethe_jp) 2017年12月12日 - 22:30
人は欠点に気づいたならば、即座にそれを改めなくてはならない。改める行為そのものが、人間にとって価値ある正しいことなのだ。(『ガンディー 魂の言葉』)
— ガンディー 魂の言葉 (@gandhi_tamashii) 2017年12月10日 - 08:37
人間はまじめに生きている限り、
— Beethoven (@beethovenven) 2017年12月12日 - 03:42
必ず不幸や苦しみが
降りかかってくるものである。
しかし、それを自分の運命として受け止め、
辛抱強く我慢し、
さらに積極的に力強く
その運命と戦えば、
いつかは必ず勝利するものである。
だが、もしきみのものだけをきみのものであると思い、他人のものを、じじつそうであるように、他人のものと思うならば、だれもきみに決して強制はしないだろう、だれもきみを妨げないだろう。きみはだれをも非難せず、だれをもとがめることはないだろう。
— エピクテトスBOT (@bot_epic) 2017年12月9日 - 16:02
喜びは、祈り。
— 若い人向けのマザー・テレサbot (@hariwarecat2) 2017年12月12日 - 08:10
喜びは、力。
喜びは、愛。
喜びをもって与える人は、誰よりも多くを与えるものなのです。
僕は演奏会をするには不適当だ。群衆は僕を臆病にする……。しかし、君(フランツ・リスト)は群衆を相手にする運命を持っている。それは、君が聴衆を魅了しない場合でさえ圧倒するだけの力を持っているからだ。
— フレデリック・フランソワ・ショパン (@Chopinbot) 2017年12月12日 - 08:10
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団がある偉大な指揮者と20曲のモーツァルトの交響曲を演奏した。そのとき指揮者は一度も口を開かなかったという ― 考えてもみたまえ、モーツァルトの交響曲で「跳ばし」がいつも正統とみなされているオーケストラなのだ―モーツァルトで!そこを考えてほしい!
— チェリビダッケbot (@Celibidachebot) 2017年12月11日 - 08:19
自然はその無際限の生産力をもって、ありとあらゆる空間を満たす。一つ、私たちのこの世界を観察してみようではないか。私たちが悪とか不幸とか呼ぶものは全て、自然が発生するものの全てに空間を与えることはできず、いわんや永続性を付与することなど尚更できない、ということに由来している。
— ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (@J_W_Goethe_jp) 2017年12月12日 - 21:30