ピアノ演奏における「筋肉」の是非!?を考えるこの頃です。
もちろん、筋肉を使わずしてピアノ楽器なんか弾けません(笑)
問題は使い方。
私は、「音を出すこと」に関しては「重さ」を重点に置き、筋肉はその重さ(腕・体)を支えるために使うべきと考えがまとまってきたように思っています。
筋肉を使って大きな音を出そうなんてすると、音は硬く、この力は音をひしゃげさせ、決して美しくない音が生まれると思う・・・
筋肉を使うのは、重さを支えるため。
そして
「動きのために必要な筋肉を使い動かす」、これ、新課題として浮かび上がってきたところです・・・我が弱点克服なるか!?
重さを支えるための筋肉、一朝一夕では出来ません(どんな筋肉もそう、当たり前)
私が期待しているのは、この支える筋肉、老齢になっても無理なく使え続け、生涯に渡ってピアノ楽器を奏で続けることが出来るのではないだろうか!?ということです・・・今の私はそれを実感するには若すぎる(苦笑)
重さを支えるための筋肉、この難しさは、余計な筋肉が使われてしまうと、せっかくの重さが鍵盤に伝わらないこと・・・ゆえに、使う必要のない筋肉は「脱力」していないと上手く出来ないということ。
これ、私の考える「脱力奏法」です。
これは「ただ脱力すればいい」という安易な考えではないです笑
重さを支える筋肉が鍛わり、要らない筋肉は脱力している、「重力利用脱力奏法」とでも称しましょうか!?
このコツは「無欲になること」(笑)・・・これはちょっと冗談ですが、少しは真実味もあり・・・
そう、無欲になっていると、余計な力が入らないかも、というだけの話。「
欲」!?大問題・・
「無欲にならねば」・・・などの「欲」に関する問題は、触れると厄介な事柄に思えた・・・
安易に、ピアノなど楽器の奏法の具体的な事象に反映させないほうが良いかもと、反省したくなりました・・・
とはいえ、完全に無関係ではないとも思え、いやはや実に!!厄介です・・・
ピアノの巨匠リヒテルは「無欲になんてなっては音楽できない」とおっしゃっていたよう、記憶しています・・・(ゆえに演奏家にヨガはお勧めでない、という話でした)
その反対に、愛読書E.フィッシャーには「一度死なねば(=無欲?)」のようなことを言っています。
いやはや、はてさて・・・
奏法に関しては、無欲に!?
音楽に関しては、欲を持って!?
そして、無欲が似合う音楽では、無欲に!?
以上、今朝の考察の結論としてみましょうか・・・
・・・無欲と欲は、ケースバイケースで使い分けるとよい!?!?
こんなことは初めて考えた・・・どちらか一方のみではなく、?
だって、欲がないと生きていけない部分があるのだから!一番わかりやすいのが「食欲」。
そして「欲張り」は良くなさそう・・・だから無欲も会得しておかないと!?
塊!?・・・「魂」という字と似ている・・・その関連は!?
ピアノ演奏において「塊」を感じて演奏すべき、と思った次第です。一音一音バラバラでは、和声やフレーズの流れなど、表現できなくなってしまうでしょう。「塊(かたまり)」として捉えることは大事!?音楽にとっても、ピアノを弾く「手・指」にとっても、一石二鳥のキーワード!?
期待されるは、塊、これを会得したとき、魂ある音楽演奏となれる!?