音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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初期ドビュッシー作品におけるペダル使用の問題 ~ 1月29日(日)のつぶやき

2012年01月30日 | ドビュッシー Claude Debussy
14:22 from Keitai Web 今とても迷っています・・・ドビュッシーの初期・若い頃の作品を勉強していて、果たしてペダルをほとんど使わないで弾けるものは、使わない方がよいのか・・・あるいは若いとはいえドビュッシーだから、ペダルを使って響きを増した方がよいのか・・・14:25 from Keitai Web 初期のドビュッシーでなくなると、ペダルを沢山使うところは一目瞭然なのです!大抵の場合は低音バス、和声の垣根を越えた長い音符が書かれている場合、ここでは大いにペダルを使い、半濃淡な響きを作り出すことがドビュッシーの音芸術となるのです。無闇に踏み変えてはいけません!14:27 from Keitai Web だから困るのは、ペダルに頼らず、指で全ての音価を把握することが出来てしまう曲の場合、作曲者はペダルを使うことを念頭に入れていない!?と考えることも可能になってくるのです・・・14:32 from Keitai Web 例えばJ.S.バッハの曲は、ペダルを使わずに演奏することが可能です。だってバッハが使っていた頃の鍵盤楽器にはペダルが存在しなかったから。手指だけで奏でることが出来る時代の音楽、その足跡(手跡!?)を辿ることにより、バッハが卓越した鍵盤奏者であったことが分かるといいます14:38 from Keitai Web だから困るのは、18世紀以降ペダルのある鍵盤楽器(ようするにピアノ)のための曲で、ペダルが必要ないように書かれた曲に際して、ペダルを使わない響きをその音楽が欲しているのかどうか判断するには・・・どうしたものだか!!14:40 from Keitai Web これは「ピアノを弾く際には適宜ペダルを使う」という常識の前にある問題です。楽曲の基本的な「響き」に関わる、すなわち楽曲の存在に関わる問題とまで言えることかもしれません。14:42 from Keitai Web 初期ドビュッシーが、その後どのように変貌してゆくのか(あるいは最初からその姿だったのか!?)今年一杯しかと見届けたいと思います。
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