5年に一回のクラシック・ピアノ音楽最大のイベント、(←・・・と言って過言ではないでしょう)
ショパンコンクール2015が、終了したそうですね。
「そうですね」だなんて、他人事のように・・・
いや、正直、あえて「他人事」のような感覚で、これを見ていたい(観ていたい)というのが
今回2015年の、私個人が過ごしてきたショパンコンクール月間だったのでした。
↑「過ごしてきた」!?ようするに、
他人事ではなく、どうしても気になってしまっていたのです(苦笑)
インターネットでの生中継、録画された動画、(素晴らしい高画質!)
全部を見ることはあまりにも大変・・・で出来ておりませんが、
しかし、気になっては、ちょくちょくインターネットを観ていたのです。
偶然にも、1位となった韓国人の彼の一次予選だったかの演奏を聴いて、
「なかなかいいのでは」と思ったりしたのでした。
演奏を聴きながらプロフィールを見たら、名士ミシェル・ベロフについてパリで勉強し、
既にチャイコフスキー・コンクールで賞を取っているという実力者!!
それなら、なかなかよく聴こえたのも然りか、
その彼Seong-Jin Choが、なんと今回のショパンコンクール1位にまでなったとは!?
それを「なかなかいい」と聴き分けた自分の耳を誇ってみたり!!!・・・したところで
いったい何だというのか・・・虚無感が私の中を漂うのです・・・
高画質によるリアルタイムな動画配信により、
日本から地球の反対側のような場所、ポーランドはワルシャワで行われている音楽競争の様子が
手軽に、生々しく!視聴できるようになった、 凄い時代になったものだと
多くの 人々が思っているでしょう。
その様子をコンクール初期(数ヶ月前の予備予選の時から)から見ながら、
私は、ピアノ弾きという同業者ゆえにか・・・見ていてとってもとっても・・・辛い気持ちになり、
まともに見ることは出来ませんでした・・・
その辛さは、コンテスタントの「演奏の良し悪し」とは、
関係のないところ!!で起こるものと、今考えながら思います。
なぜそう思うのか、(ネガティヴな文章になってゆくかもでしょうが・・・)
せっかくの機会、考えをまとめてみたく、試みてみてよいでしょうか。
もちろん、良くない演奏(・・・そんなのあったかしら?
皆、相当素晴らしい人達ばかりだったのでは?)ゆえに
聴くのをやめたくなることも、ありました。
私にとって良くないと思われる演奏は、
せっかくショパンが苦心して書き込んだペダルやアーティキュレーションなどに
奏者が意識を払っていないよう聴こえてきた場合、それを「良くない」と判断する傾向があります。
奏者が、楽譜に書き込まれた天才ショパンによる指示に注意が足りず、
それでいて奏者の自分の好き勝手に弾いているような印象を受けるとき、
たとえそれが表情豊かな演奏であるとはいえ、それを良い演奏とは思えない、
そんな聴き方をする人間に今の私はなっているようです・・・
(お固い、詰まらない人間!?にはなりたくないと思っていますが!)
・・・演奏の良し悪し・・・でも、それがなんだというのだろうか!?・・・
またも、虚無感が心を漂い始めます・・・
コンテスタント、皆、本当に凄くがんばっている!!そして、選び抜かれた上手ばかり!!
そして、どの人も「演奏表現の、なんと豊かなこと」!!(←これが特筆に値することと思われます)
20歳前後の若くて優秀なピアノ弾き達が、一生を懸けて、(・・・一生の何をかけて?キャリア?)
世界中のクラシック・ピアノに関わる多くの人々がインターネットで
生中継で、あるいは野晒し状態!のような動画(自分の意思で修正できない・・・
弾き手として、恐ろしいことに思えます!・・・)で、自分の演奏を聴かれてしまう(聴いてもらえる?)
そんな凄まじいプレッシャーのなか、全力でピアノに向かって演奏している人間の姿が見られることは、
とても尊いことのよう!!・・・でもあり、それがしかし、
コンクールという競争の場であるという現実・・・それは即ちいうならば
その音楽・演奏が「品定めの対象」であるという事!?・・・
そう思ってしまったとき、見ていて聴いていて
辛さが込み上げてくるのです・・・
ショパンの音楽が、夢と実力ある若いピアニスト達が、
薄気味悪く陰ながら(あるいは公然と⁉︎)資本主義が支配するコンクールの餌食となる様子は、
私には耐え難く映ったのです!!
ピアニストのアンドラーシュ・シフが言っていたのを聞いたことがあるのですが、
「competition is silly(苦笑)」
と一言・・・(公開講座か何かの一幕だったのか、会場からも笑い声が聞こえてきて・・・)
とにかく、
この言葉を聞いてしまった先入観もあるのか、
コンクールというものの愚かしさを考えるようになってしまいました。
過激な思想を暴露するなら、コンクールは芸術の敵だ!!!・・・と非難したくなったり・・・
・・・こんなネガティヴなことを文句を言うくらいなら、
ショパン コンクールの映像を見なければよいではないか!!と思われますが、
しかし、なんでしょう、勉強のため?、今日を生きるクラシック音楽家、ピアノ弾きとして
安易に目を背けてはならないのが、コンクールだとも思われるのです。
批判すべきは批判し、
本来の健全な音楽を楽しむ心が、どこにあるのか、これを
反面教師的にコンクールという存在から知り得ることができる
ような気がしてきました。
競争の場を離れて、
世界中のピアノ弾き達が、我々の生来の本業、音楽に向き合い
表現してゆくという道に、再び戻ってゆくことを願います。
コンテスタントの皆さんには、順位になど関係なく
こう言いたくなりました、「幸あれ!!」・・・と。
いや、全ての音楽に携わる人々に向かって、この言葉を、です。
ショパンコンクールが終わった!!ようやく落ち着いて、
勉強に集中できるような気がしてきました(苦笑)
(↑気にしすぎ・・・だって気になるんだもん・・・)
一心に音楽に芸術に尽す身と決めたはずなのに・・・
矛盾を抱えて生きるは、人、でしょうか。
今年末に、ショパン《バルカローレ》を公演できるよう、勉強中です。
♪
ショパンコンクール2015が、終了したそうですね。
「そうですね」だなんて、他人事のように・・・
いや、正直、あえて「他人事」のような感覚で、これを見ていたい(観ていたい)というのが
今回2015年の、私個人が過ごしてきたショパンコンクール月間だったのでした。
↑「過ごしてきた」!?ようするに、
他人事ではなく、どうしても気になってしまっていたのです(苦笑)
インターネットでの生中継、録画された動画、(素晴らしい高画質!)
全部を見ることはあまりにも大変・・・で出来ておりませんが、
しかし、気になっては、ちょくちょくインターネットを観ていたのです。
偶然にも、1位となった韓国人の彼の一次予選だったかの演奏を聴いて、
「なかなかいいのでは」と思ったりしたのでした。
演奏を聴きながらプロフィールを見たら、名士ミシェル・ベロフについてパリで勉強し、
既にチャイコフスキー・コンクールで賞を取っているという実力者!!
それなら、なかなかよく聴こえたのも然りか、
その彼Seong-Jin Choが、なんと今回のショパンコンクール1位にまでなったとは!?
それを「なかなかいい」と聴き分けた自分の耳を誇ってみたり!!!・・・したところで
いったい何だというのか・・・虚無感が私の中を漂うのです・・・
高画質によるリアルタイムな動画配信により、
日本から地球の反対側のような場所、ポーランドはワルシャワで行われている音楽競争の様子が
手軽に、生々しく!視聴できるようになった、 凄い時代になったものだと
多くの 人々が思っているでしょう。
その様子をコンクール初期(数ヶ月前の予備予選の時から)から見ながら、
私は、ピアノ弾きという同業者ゆえにか・・・見ていてとってもとっても・・・辛い気持ちになり、
まともに見ることは出来ませんでした・・・
その辛さは、コンテスタントの「演奏の良し悪し」とは、
関係のないところ!!で起こるものと、今考えながら思います。
なぜそう思うのか、(ネガティヴな文章になってゆくかもでしょうが・・・)
せっかくの機会、考えをまとめてみたく、試みてみてよいでしょうか。
もちろん、良くない演奏(・・・そんなのあったかしら?
皆、相当素晴らしい人達ばかりだったのでは?)ゆえに
聴くのをやめたくなることも、ありました。
私にとって良くないと思われる演奏は、
せっかくショパンが苦心して書き込んだペダルやアーティキュレーションなどに
奏者が意識を払っていないよう聴こえてきた場合、それを「良くない」と判断する傾向があります。
奏者が、楽譜に書き込まれた天才ショパンによる指示に注意が足りず、
それでいて奏者の自分の好き勝手に弾いているような印象を受けるとき、
たとえそれが表情豊かな演奏であるとはいえ、それを良い演奏とは思えない、
そんな聴き方をする人間に今の私はなっているようです・・・
(お固い、詰まらない人間!?にはなりたくないと思っていますが!)
・・・演奏の良し悪し・・・でも、それがなんだというのだろうか!?・・・
またも、虚無感が心を漂い始めます・・・
コンテスタント、皆、本当に凄くがんばっている!!そして、選び抜かれた上手ばかり!!
そして、どの人も「演奏表現の、なんと豊かなこと」!!(←これが特筆に値することと思われます)
20歳前後の若くて優秀なピアノ弾き達が、一生を懸けて、(・・・一生の何をかけて?キャリア?)
世界中のクラシック・ピアノに関わる多くの人々がインターネットで
生中継で、あるいは野晒し状態!のような動画(自分の意思で修正できない・・・
弾き手として、恐ろしいことに思えます!・・・)で、自分の演奏を聴かれてしまう(聴いてもらえる?)
そんな凄まじいプレッシャーのなか、全力でピアノに向かって演奏している人間の姿が見られることは、
とても尊いことのよう!!・・・でもあり、それがしかし、
コンクールという競争の場であるという現実・・・それは即ちいうならば
その音楽・演奏が「品定めの対象」であるという事!?・・・
そう思ってしまったとき、見ていて聴いていて
辛さが込み上げてくるのです・・・
ショパンの音楽が、夢と実力ある若いピアニスト達が、
薄気味悪く陰ながら(あるいは公然と⁉︎)資本主義が支配するコンクールの餌食となる様子は、
私には耐え難く映ったのです!!
ピアニストのアンドラーシュ・シフが言っていたのを聞いたことがあるのですが、
「competition is silly(苦笑)」
と一言・・・(公開講座か何かの一幕だったのか、会場からも笑い声が聞こえてきて・・・)
とにかく、
この言葉を聞いてしまった先入観もあるのか、
コンクールというものの愚かしさを考えるようになってしまいました。
過激な思想を暴露するなら、コンクールは芸術の敵だ!!!・・・と非難したくなったり・・・
・・・こんなネガティヴなことを文句を言うくらいなら、
ショパン コンクールの映像を見なければよいではないか!!と思われますが、
しかし、なんでしょう、勉強のため?、今日を生きるクラシック音楽家、ピアノ弾きとして
安易に目を背けてはならないのが、コンクールだとも思われるのです。
批判すべきは批判し、
本来の健全な音楽を楽しむ心が、どこにあるのか、これを
反面教師的にコンクールという存在から知り得ることができる
ような気がしてきました。
競争の場を離れて、
世界中のピアノ弾き達が、我々の生来の本業、音楽に向き合い
表現してゆくという道に、再び戻ってゆくことを願います。
コンテスタントの皆さんには、順位になど関係なく
こう言いたくなりました、「幸あれ!!」・・・と。
いや、全ての音楽に携わる人々に向かって、この言葉を、です。
ショパンコンクールが終わった!!ようやく落ち着いて、
勉強に集中できるような気がしてきました(苦笑)
(↑気にしすぎ・・・だって気になるんだもん・・・)
一心に音楽に芸術に尽す身と決めたはずなのに・・・
矛盾を抱えて生きるは、人、でしょうか。
今年末に、ショパン《バルカローレ》を公演できるよう、勉強中です。
♪