クロード・ドビュッシーClaude Debussyは
20世紀前半フランスを代表する作曲家で
彼の多くの作品が「印象派の音楽」と称されることがあります。
20世紀初頭のドビュッシーは、
成長を続ける若き意欲あふれる才能として、
ライヴァルでもあるモーリス・ラヴェルMaurice Ravelとともに
クラシック音楽における新たな局面を開いてゆきます。
そんな彼の代表的な作品のひとつ、
音楽における印象派の存在感がいよいよ確立されるピアノ独奏曲
《映像Image 第1集》の一曲目は、
《水の反映Reflets dans l'eau》という題名の付いた楽曲です。
「印象派」と言われる芸術に特徴的な要素のひとつとして
「水」というテーマはその代表的なものといえましょう。
ちなみに、絵画における印象派は、
クロード・モネDlaude Monet作『印象 日の出』がはじまりとなって、
朝日と、その水面に映るゆらめきが描写された
画期的な絵画として、この世に姿を現しました。
この作品は、絵画に限らぬ「印象派芸術」の幕開けと言うべきでしたでしょうか。
音楽家ドビュッシー作曲の《水の反映》も
印象派ふさわしく、まさに
「水」のゆらめき、うねり、きらめき等を
音を通して彷彿させる傑作となっております。
興味深いことは、
そんなこの作品のことを、
ドビュッシー自身はこのように自負しているらしいのです。
「和声における新たな化学反応に成功した」
と・・・
この言葉をはじめて聞いたときは、正直なところ、
ふぅ~~~ん・・・・・ドビュッシーっぽいな
という程度にしか思わなかったのですが、
今日、ふと、この意味が具体的に実感された気がしたのです。
それはどのようなことかといいますと、
まず、
《水の反映》は、フラットの5つ付いた
「Des-Dur変ニ長調」の調性音楽であると
ハッキリと言うことが出来ると思います。
ドイツ古典音楽のような
「ドミソ」「ファラド」「ソシレ」
といった単純明快な和声からは大きな飛躍を遂げて、
一見(一聴??}、和声と気付かれないほど、
さまざまな音に和音が彩られていますが、
だからといって、この音楽の根底を流れる「和声」を
無視することは決して出来ません。
では、この「彩られた和声」が、
「新たな化学反応」と自負したドビュッシーの誇るところか?
と思いますが、それもそのひとつでしょう、
しかし、
それ以上にもっと画期的な手法がこの《水の反映》、のみならず
この曲集《映像Image 第1集》全3曲すべてに当てはまる
音楽の・和声の新境地を指していると思ったのです。
それは「全音階」
今日の我々にとっては、
この「全音階」というものは、ドビュッシーの代表的な
作曲技法のひとつとして自明のことのようでもありますが、
あらためて、
気持ちをリフレッシュして、人類における「全音階」が発見された日を想像するならば、
このドビュッシーの成した仕事は、とてつもなく大きいものということができるでしょう。
しかし、だからといって、
この1905年に書かれた音楽《映像 第1集》は、
全て「全音階」で書かれた音楽というわけでもありません。
それどころか、
立派な和声感を備えた音楽・・・
そして、そこに、この全音階が
ところどころ融合していることに
あらためて気付いてみたとき・・・
ふと、
「和声における新たな科学反応に成功した」
と言ったドビュッシーの真意が垣間見られた気がしたのです!!
すなわち、
(和声)×(全音階)=音楽作品《映像Image》
ということになるのではないかしら!?と。
そのようなアイディアを持って
この作品を今一度のぞいて見ると、
なんとも冒頭からの数小節に、
「全音階」のみならず、「半音階」をも混じえた
不可思議な音型があったことに気付かされます・・・
「トニカ・ドミナント・サブドミナント」という和声と
「全音階」「半音階」の結合=化学反応!?
このように思いを巡らせてみますと、
「和声の化学反応」とは、
単なる美辞麗句ではない、具体的な裏づけのある発言なのではないか、
と、思ったのでした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
P.S.
ドビュッシーの調性と全音階については、
クラシック音楽を勉強する人にとっての
「自明の理」「当たり前」という知識として
定着しているものとも言えるでしょう。
しかし、
「当たり前」とはいえ、
たとえ先人の分かりきったことであろうと、
一人の人間(この場合、僕)にとっての
個人的とはいえども「新たな発見」の鮮烈な印象というものは
いつの世でも、生き生きと価値のあるもののようにも思え、
恥を忍んで、発表させていただいている次第です。
「そんなのは当たり前だよ」と一刀両断する詰まらない大人になってしまう前に、
この初々しさを残しておくことは、多少なりとも意義のあることと信じたいです。
20世紀前半フランスを代表する作曲家で
彼の多くの作品が「印象派の音楽」と称されることがあります。
20世紀初頭のドビュッシーは、
成長を続ける若き意欲あふれる才能として、
ライヴァルでもあるモーリス・ラヴェルMaurice Ravelとともに
クラシック音楽における新たな局面を開いてゆきます。
そんな彼の代表的な作品のひとつ、
音楽における印象派の存在感がいよいよ確立されるピアノ独奏曲
《映像Image 第1集》の一曲目は、
《水の反映Reflets dans l'eau》という題名の付いた楽曲です。
「印象派」と言われる芸術に特徴的な要素のひとつとして
「水」というテーマはその代表的なものといえましょう。
ちなみに、絵画における印象派は、
クロード・モネDlaude Monet作『印象 日の出』がはじまりとなって、
朝日と、その水面に映るゆらめきが描写された
画期的な絵画として、この世に姿を現しました。
この作品は、絵画に限らぬ「印象派芸術」の幕開けと言うべきでしたでしょうか。
音楽家ドビュッシー作曲の《水の反映》も
印象派ふさわしく、まさに
「水」のゆらめき、うねり、きらめき等を
音を通して彷彿させる傑作となっております。
興味深いことは、
そんなこの作品のことを、
ドビュッシー自身はこのように自負しているらしいのです。
「和声における新たな化学反応に成功した」
と・・・
この言葉をはじめて聞いたときは、正直なところ、
ふぅ~~~ん・・・・・ドビュッシーっぽいな
という程度にしか思わなかったのですが、
今日、ふと、この意味が具体的に実感された気がしたのです。
それはどのようなことかといいますと、
まず、
《水の反映》は、フラットの5つ付いた
「Des-Dur変ニ長調」の調性音楽であると
ハッキリと言うことが出来ると思います。
ドイツ古典音楽のような
「ドミソ」「ファラド」「ソシレ」
といった単純明快な和声からは大きな飛躍を遂げて、
一見(一聴??}、和声と気付かれないほど、
さまざまな音に和音が彩られていますが、
だからといって、この音楽の根底を流れる「和声」を
無視することは決して出来ません。
では、この「彩られた和声」が、
「新たな化学反応」と自負したドビュッシーの誇るところか?
と思いますが、それもそのひとつでしょう、
しかし、
それ以上にもっと画期的な手法がこの《水の反映》、のみならず
この曲集《映像Image 第1集》全3曲すべてに当てはまる
音楽の・和声の新境地を指していると思ったのです。
それは「全音階」
今日の我々にとっては、
この「全音階」というものは、ドビュッシーの代表的な
作曲技法のひとつとして自明のことのようでもありますが、
あらためて、
気持ちをリフレッシュして、人類における「全音階」が発見された日を想像するならば、
このドビュッシーの成した仕事は、とてつもなく大きいものということができるでしょう。
しかし、だからといって、
この1905年に書かれた音楽《映像 第1集》は、
全て「全音階」で書かれた音楽というわけでもありません。
それどころか、
立派な和声感を備えた音楽・・・
そして、そこに、この全音階が
ところどころ融合していることに
あらためて気付いてみたとき・・・
ふと、
「和声における新たな科学反応に成功した」
と言ったドビュッシーの真意が垣間見られた気がしたのです!!
すなわち、
(和声)×(全音階)=音楽作品《映像Image》
ということになるのではないかしら!?と。
そのようなアイディアを持って
この作品を今一度のぞいて見ると、
なんとも冒頭からの数小節に、
「全音階」のみならず、「半音階」をも混じえた
不可思議な音型があったことに気付かされます・・・
「トニカ・ドミナント・サブドミナント」という和声と
「全音階」「半音階」の結合=化学反応!?
このように思いを巡らせてみますと、
「和声の化学反応」とは、
単なる美辞麗句ではない、具体的な裏づけのある発言なのではないか、
と、思ったのでした。
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P.S.
ドビュッシーの調性と全音階については、
クラシック音楽を勉強する人にとっての
「自明の理」「当たり前」という知識として
定着しているものとも言えるでしょう。
しかし、
「当たり前」とはいえ、
たとえ先人の分かりきったことであろうと、
一人の人間(この場合、僕)にとっての
個人的とはいえども「新たな発見」の鮮烈な印象というものは
いつの世でも、生き生きと価値のあるもののようにも思え、
恥を忍んで、発表させていただいている次第です。
「そんなのは当たり前だよ」と一刀両断する詰まらない大人になってしまう前に、
この初々しさを残しておくことは、多少なりとも意義のあることと信じたいです。