吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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彼のレコードにはすばらしい出来のものが少なくない。
あれだけの録音ができたからには、実演もたいていは
成功していただろうと考える方が、自然かもしれない。
だが、前にもいったように、
レコードの彼は、どちらかというと完全に近いが、
音楽としての完璧とはちょっとちがう。
あすこには、音楽を無理じいしてる趣きがある。
レコードは、消極的完全を目指す人々のは別としても、
いわば運動選手が記録をかきかえるために開かれた会での出来栄え
のようなところがある。実戦よりも記録は良いかもしれないが、
抽象的な面がある。
というのは、聴衆、
つまりデュアルメのいうところの
一つの文明社会との対面がないからである。
~~中略~~
強い力士とは相対的に勝つ率が高い力士をさすわけで、
そこには、その取組みに至るまでの経過のつみ重なりが働くにちがいないが、
それでも、
ある日、ある時の勝負の経過には、
それぞれの力士にとって、勝ち負けとは別に、
納得のゆく経過と、そうでないのとの問題があるはずである。
それを勝負だけでみてゆくのは、
相撲というものの中の、
最も微妙なものを見逃すことになる。
レコードと実演には、
そういった勝ち負けを中心とするのと、
もっと全体的で、しかも、一番一番本当の勝負のように
非常な早さで微妙に出現し、忽然と消滅してゆく何かを
尊ぶ立場とのちがいのようなものがある。
そうみた場合、
あらゆる実演は、成果とは別に、もっと深いところで、
その演奏家を証明し、かつ、それを通じて、
音楽の本性をあかすものがある。
それは、ほとんど
音楽の神秘といっても
良いようなものなのかもしれない。
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