音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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◆モーツァルトの未完成の肖像画 ~小林秀雄『モオツァルト』より~

2010年05月07日 | モーツァルト W.A.Mozart
小林秀雄 著『モオツァルト』より

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僕は、その頃、
モオツァルトの未完成の肖像画の写真を一枚持っていて、
大事にしていた。


それは、巧みな絵ではないが、
美しい女の様な顔で、
何か恐しく不幸な感情が現れている奇妙な絵であった。


モオツァルトは、大きな眼を一杯に見開いて、
少しうつ向きになっていた。


人間は、人前で、こんな顔が出来るものではない。



彼は、画家が目の前にいる事など、全く忘れて了っているに違いない。


二重瞼(ふたえまぶた)の大きな眼は何も見てはいない。
世界はとうに消えている。
ある巨きな悩みがあり、彼の心は、それで一杯になっている。
眼も口も何の用もなさぬ。
彼は一切を耳に賭けて待っている。
耳は動物の耳の様に動いているかも知れぬ。が、頭髪に隠れて見えぬ。


ト短調のシンフォニイ(交響曲第40番 ト短調 K.550)は、
時々こんな顔をしなければならない人物から生まれたものに間違いはない、
僕はそう信じた。


何という沢山な悩みが、
何という単純極まる形式を発見しているか。
内容と形式との見事な一致という様な尋常な言葉では、
言い現し難いものがある。
全く相異る二つの精神状態の
殆ど奇蹟の様な合一が行われている様に見える。


名付け難い災厄や不幸や苦痛の動きが、
そのまま同時に、
どうしてこんな正確な単純な美しさを現す事が出来るのだろうか。


ほんとうに悲しい音楽とは、こういうものであろうと僕は思った。


その悲しさは、
透明な冷たい水の様に、僕の乾いた喉をうるおし、僕を鼓舞する、
そんな事を思った。








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