音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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◆和声を「知識」として知っているだけではダメ

2010年01月27日 | ◆一言◆
私はクラシック音楽を生業としているわけですが、
その上で、「ハーモニー(和声)」に関しては、
相当に大きな注意を払って然るべき
重大な要件であると、日を追うごとに強く感じています。

しかし、このハーモニー・和声の知識というもの・・・
残念ながら多くの音楽関係者から耳にするのは
「難しい、音大の苦痛な授業を思い出す」といったはなしを多々・・・

いや!そうではない人々もいることでしょう。
しかし、
和声の授業なるものの「苦痛」な印象を持つ人が少なからずいることも
否定は出来ないのです・・・



ハーモニー・和声は、音楽の根底を流れる「チェスでいうキング」に値する
という面白く喩えたのはR.シューマンです。

これは、和声が音楽のよしあし・勝負を決める鍵
となることをあらわしていると解釈できましょうか。


では、
和声の知識(キング・王将の扱い方)があれば、
クラシック音楽は極められるのか!?

・・・というと、和声を
「たんなる知識の集積」として理解できるようになるだけでは、
真の音楽の感動には結びつかないのかもしれない気がする・・・

音楽学校の必修科目としての和声が、まるで
拷問のような印象を多くの人々が持ってしまっているのは、見事に
「知識のみとしての和声」というドツボにはまってしまっている証なのかもしれません・・・
更に意地悪く突っ込んでみるならば、
感動を伴わない知識のみに執着した授業でたとえ良い点数が取れて、
何でも正しく解答でき、音楽を分析できても、
音楽がよくなるとは限らない・・・という予想すら浮かんできてしまうようなのです・・・

無味乾燥・冷酷なまでのエリート意識は、音楽の魅力を一気に半減させてしまう危険性があるのかもしれません・・・



理想は、「有機的な和声感」を心掛けるということのような気がしています。

感動をもって、情熱をもって、和声を面白く思うということ・・・

案外、クラシック教育に毒されていないミュージシャンの方が、今日ではこの点において優れているようにも思えたりもするのです・・・



クラシック音楽を生業とする者としての志を述べることが許されるのであれば、
いまいちど!!健全な音楽の楽しみを、和声の・ハーモニーの・宇宙の真理に基づいた抑揚に
皆で目が啓かれんことを!!!!








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