(続1)平岡養一(1907~81)は日本の先駆的な木琴奏者。1930年代に渡米し、米NBC専属となり10年にわたって、毎朝、木琴をラジオで生演奏し、「米国の子供たちは平岡の木琴で目を覚ます」といわれていたという。リサイタルではそんな平岡のレパートリーを中心にプログラムが組まれた。
(続2)マリンバ全盛の現代において、通崎さんはヴィルトゥオーゾとしての系譜だけでなく、歌う楽器としての木琴の魅力を平岡から受け継いでいることを示した。アンコールでは、客席から井上道義氏が登場し、マエストロのピアノ伴奏で平岡作曲の「おやすみなさい」が演奏された。
人の言うことなんて気にしちゃだめだよ。
「こうすれば、ああ言われるだろう・・・」
こんなくだらない感情のせいで、
どれだけの人がやりたいこともできずに死んでいくのだろう。
モーツァルトは好きですね、指導する時もモーツァルトを練習させる事も多くありました、また、バッハも好きです、マヨルカ島には平均律クラヴィーア曲集を持参しました、島ではずっと、プレリュードを書いていました。
水平線はまっすぐだっていうふうに思わなくていい。自分たちの生きているところにまっすぐなものはないから。特に島には、まっすぐな道路もなければ、家を見るとみんな歪んでるんですよ、古い家だから。だからまっすぐを定規で描かなきゃいけないみたいなことはこの世界では初めから捨ててよろしい。
偉大な仕事をする唯一の方法は、あなたがすることを愛することだ。まだ見つかってないなら探し続けろ。落ち着いちゃいけない。rurl.jp/jobs19
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コンピュータ産業全体が退化した。この業界はすでに破綻している。三〇〇メガヘルツは二〇〇メガヘルツよりすぐれているとか、六ギガバイトは四ギガバイトよりまさっているなんて話ばかり。コンピューティングには、もっといろんなことがあるのにだ。
リヒテルのバッハ『平均律クラビア曲集』からは、宇宙的な通路、階段、神殿のイメージが浮かぶ。他のどのアルバムよりもリヒテルを聞いた。彼が英才教育とは無縁で、生い立ちに闇を抱えていたことに、驚く。同時にあの深い精神性の謎に少し納得。 pic.twitter.com/3lpFUdHIz2
ワーグナーの音楽において最も重要なことは、始めから終わりまで全てを統合させて保つことです。その場合にのみワーグナーは明らかになるでしょう。少しでも洩らしてしまったら、そこにあるのは退屈だけになります。
一般的に……最も気持ちの良いものは謙虚さだと思います。謙虚な人はそうでない人よりもずっと心地よい。(中略)いいえ、芸術家やその様なものについてではなく、一般的な人についてです。人として。謙虚なことは色々役に立ちます。全て上手く行きます、敵も作りませんし(笑)……そんな感じです。
(65年のインタビュー⑤)
ネイガウスも私に影響を与えました。彼は私の想像力を広げました。生きている限り彼がどのように[スクリャービンの]第十ソナタを弾いたか忘れないでしょう……決して忘れません。[第十ソナタを演奏するか問われて]いいえ、自分が弾くには好きではないんです。
(65年のインタビュー⑥)
私は十あるソナタの内の五つ―第二、第五、第六、第七、そして第九ソナタ―を演奏します。それにスクリャービンの小品を沢山……公には絶対に演奏しない小品もあります。私自身の個人的なものとしてとってあるんです。
(65年のインタビュー⑦)
スクリャービンばかりというのもよくありません。長時間の演奏には、彼は難しすぎますし、また主観的すぎます。ああ、デカダンス*!スクリャービンは敬愛していますが、スクリャービニストは嫌いです。
*la decadence(フランス語で)
(65年のインタビュー⑨)
彼の弱点を挙げる事も出来ましょうが、それについて話そうとは思いません。[話す様促されて]何故?いいえ!彼は素晴しい力を持っていました。何故彼の弱さのことで頭を悩ませなくてはいけないでしょう?
(65年のインタビュー⑰)
でもどうか誤解しないで下さい。私は自分の意見、感覚、演奏する際に浮かぶ映像のことを言っているんです。これらは絶対の原則や従うべき法ではありません……