音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

♪クラシック音楽の伝統を受け継ぐ真の音楽芸術家を目指して活動しています♪ 「YouTubeクラシック音楽道場」も更新中♪

ロマン派と古典派の違い ー 6月2日(火)のつぶやき

2015年06月03日 | ◆一言◆

ふと、クラシック音楽における「古典派」と「ロマン派」の線引きをするなら、前者は「音ゆえに情感が表現される」のに対し、後者は「情感を表現するために音が使われる」という主従逆転の関係!?なぞと考えました。

1 件 リツイートされました

歴史の流れとしては、音が発展してゆき、人間の情感が多分に表現されるようになってきた。音は成熟し、ロマン派を期に、情感が先行して、音はそれを表現する手段となった!? 高度な音楽芸術においては、両者は表裏一体不可分であり、その表と裏が逆転したのがロマン派以前と以後!?

1 件 リツイートされました

以上は、クラシック音楽において「古典派」と「ロマン派」を区切るという簡略的な考えの一旦を述べたもので、一概には言えないでしょうが、一理あれば!?と願います。感情と音の主従関係の逆転という考え方でした。
キーパーソンは・・・やはりB!?


ベートーヴェンの音楽は、音が激しいから彼の情感が表れているのか、彼の情感が激しいから音に表れているのか!? 判然としない微妙な位置にある作曲家なのかもしれない・・・
ゆえにこのようなBの大きな影響のもとロマン派が花開いた!?と言われるのかもしれません。B以前のMは!?


モーツァルトの音楽は、言ってしまうと、ロマン派のような作者の情感が楽曲に下手をすると押し付けられるようなことは決してなく、まず音があって、そこにMの情感が乗り・秘められている、という感じがしませんでしょうか?
Mはロマン派ではない、だからといって情感が無いわけでは決してない!


まとめてみると、「音が情感を表す古典派」「音に情感を表すロマン派」という感じ? どちらにも音はあり、情感があるのです。ロマン派以前、ベートーヴェンはもちろん!モーツァルトにもハイドンにも、バッハにも豊かな情感がある!!間違いないはずです

1 件 リツイートされました

ロマン派の中でも差があるかも。自身の情感があって、それを音に表そうとする作曲家として、今の私はシューマンが連想されます。一方ショパンは、ちょっと違う気がする・・・音に情感が籠められた、古典的な姿勢がショパン!?
これは良い悪いの問題ではなく、タイプの違いの問題


ロマン派において「標題音楽」と「絶対音楽」という差別がされるのは、言い換えれば「古典派的」か「ロマン派的」かという違い!? 曲に標題を書かなかったブラームスやショパンは絶対音楽=古典的で、標題を書いたシューマンやリストは標題音楽=真にロマン派!?


古典派かロマン派か、絶対音楽か標題音楽か、時代背景だけでは説明がしきれない、作者のタイプに関わる問題なのでは!?と思い始めました。
噂によると、バッハ以前にもロマン派的な作曲家がいたそうですから!
昔の人間に情感が無かった、なんて有り得ませんから


「音に表現される」のか「音が表現する」のか・・・微妙な言葉のあやですが、大きな違いがあるような気がします。古典派とロマン派の違い・・・かもしれません。
好き嫌いは、人それぞれご自由にどうぞ!?


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自分の行っていることが正し... | トップ | 幼児の発声 ff!(フォルティ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。