メロディーが半終止する際、この音がV音(属音)なのか、VII音(導音)なのか、II音なのかで、表現ニュアンスは微妙に違うよう、今思われました。
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2017年7月16日 - 13:04
簡単に言うと、V,VIIは弱め?
IIで終わる場合は、強めの疑問・投げ掛け・問い掛けの気持ち!?みたいに考えてみると思えてきたかも・・
魂こそが、体系の原理―実体―に他ならないように思える―魂の住み家は天ということになろう。生理学一般は、世界心理学ということになろう―そして自然と魂もひとつということになる―自然とは、全体の精神、実体的な原理と解するほかないからである。 『一般草稿』
— Novalis (@Novalis_bot) 2017年7月16日 - 13:03
魂!?
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2017年7月16日 - 13:08
21世紀の今日においても、この非科学的なもの!?を否定するような科学的証明なんて無さそうで!?(あるいは、その存在を肯定するような証拠が現れ始めてはいないかしら!?)
・・・魂・・・
その不滅性を私は知っています。
プラトンを読んだので!(笑)
ここ最近、本番になると(本番に向けて準備している最中も!?)その音楽に対する気持ちが高ぶり!!つつも・・・それが実際によく表現されているかどうか、実は自分ではなんだかちょっと不安に思っていたみたいで・・・
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2017年7月16日 - 13:30
しかし、それを越えるべき時が来たかも!?具体的な方法をもってして!?
いくら思っていても、ちゃんと実現されていないと、意味はない!?
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2017年7月16日 - 13:34
・・・なぞと冷徹な言葉を聞くことがありますが、しかしこれ然りか・・・(苦笑)
具体的に実現していること、それを成すテクニックがあることに今一度開眼し、注意してピアノを弾いてみたら・・・!?(笑!?)
そして、
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2017年7月16日 - 13:37
テクニックの重要性を呟いた直後ですが、(だからこそ!?)
音楽を思う心、感じて、表現したくなる気持ちを、養い育ててゆくことは、大前提にあるとも思えます。
(テクニックの前に!?)
その心・気持ちあって、テクニックで実現できたとき・・・高度な音楽芸術となる!?
自分の思っていること・感じていることを実際に表現できるテクニックって、どんななのでしょうね!!(笑)
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2017年7月16日 - 13:40
色々あるでしょうが、今ここでは書けません(笑)
いやはや・・・具体的に、色々あると思っています。
しつこいですが、「具体的」というのが気に入っています(笑)
鍵盤の扱い方、ですねぇ~~!!(笑)
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2017年7月16日 - 13:41
(・・・調子にのってるようで無様・・・ごめんなさい・・・しかし、ちょっとなんだか嬉しく(笑))
「思っていても実現されていなければ意味はない!?」
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2017年7月16日 - 13:46
いや、奏者が強く思っていること・感じていることがあるならば、それがテクニックを通してよくは実現できていない場合でも、聞いている人には少なからず、その奏者の思いというのは伝わるだろうとも、思いました。思いを無碍に否定したくないです
思いもある、
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2017年7月16日 - 13:47
テクニックもある、
これを「鬼に金棒」という!?(笑)
「鬼に金棒」、どっちが「思い」でどっちが「テクニック」か。
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2017年7月16日 - 13:52
鬼が思い、で、テクニックが金棒、だと思っています。
テクニックだけでは、金棒は動かず意味なし!?
鬼は、鬼さえいれば金棒はなくとも・・・裸一貫なんとかなる!?(笑)
ゆえにテクニック先行ではなく、思いの方が大切!?