ラヴェル作曲のピアノ曲《クープランの墓》を勉強しながら、初めてこんなにも!オーケストラ版のスコアを見たいという衝動に駆られたことはありません! それはオケの音色を知りたいわけではなく、「内声の旋律線を確認したい」ということ。ピアノの和音ではイマイチ分からない声部の詳細を知りたい
ピアノ曲があり、そのオーケストラ版があるならば、ピアノ弾きは必ずそのオケ版を知らなければならない、と世では言われていますが、私はあまりその必要性を実感できていません・・・オケ版は多彩な油絵のよう、ピアノ独奏は水墨画のよう!? 水墨画で十二分にやることがあるので・・・
オーケストラの色彩豊かさは豪華な油絵のよう!?と、以前から思っていました。それに比べると、ちょうど黒鍵と白鍵しかないピアノは、まるで水墨画のよう!? 油絵の豪華さにはかないませんが、水墨画の少ない色使いでも表現できる世界がある、世界観はオケにも負けない!?ピアノ弾きの自負です
・・・ラヴェル《クープランの墓》のスコアがうちに見当たらない・・・ そうなると、imslpです!ありがたや!便利な世の中になったものです!有効に活用しなくちゃ!
水墨画家的であることに誇りを持つピアノ弾きですが、時に油絵から勉強することもあるということでしょうか。ラヴェル《クープランの墓》の一つの「線」が、ピアノ独奏では和音となってしまって見えにくかったのですが、オケ版にて明確にその「線」が発見できました!
同じ作品に「ピアノ版ありオケ版あり」のような場合は、絵における「鉛筆画あり油絵あり」のよう? 両者を見比べることで分かってくる作者の思い・意図があるようです。とはいえこれは難解な作業!漠然と見ていたのでは、何も見えてきません・・・義務的に見れるものではない
今朝は・・・自分が「ピアノが下手だなぁ・・・」と思い、しかし夜になって、10年振りの曲を弾いたら「以前よりは上手になったかな?」とも思い・・・しかし結論、まだまだ残念ながら!・・・精進あるのみです。
少しは以前よりも音楽が上達したかな?と思える理由のひとつに、以前から「美しいな」と思っていた、その音楽性の正体が明確に分かってきたというのがあります。それは「不協和音」のもたらす、心揺すぶる美しさ・・・! 以前から何か感じていたものの正体は、これ。!?
ここ数週間は、夜な夜な机に向かい、自分の弾いたことのある曲・ない曲、いずれにせよ「不協和音」を捜し丸する作業を続けています。美しさのポイントが分かっていると、実際に演奏する際、理想的な音楽の流れに沿えるような気がする今日この頃なのです。
自画自賛は、なんだか格好悪いものです(日本文化では特に!?)が、真に良いと思われたものは、せっかくの機会には公言しておきたいと思い、恥を忍んでつぶやいてみます。「不協和音」は、音楽における事実の一つなのは、どうにも疑えないものなので!!
事実・真実に沿って、偉大な過去の作品に向かい合う。その時、偉大な作品は、今を生きている人間に、満足感を沸き上がらせる力を有している、これ、古典の醍醐味!?
やっていることが「練習」なのか「勉強」なのか、そこには多少の差があるような気がする今日この頃でして、これを的確に見定めて、自分のしていることが何なのか分かってすることで、作業の効率が上がる!?ような気がする