昨夜読んでいる時はいまいちピンと来なかったのですが、今は、そうかも、と思えるようになったかも。音楽における悲劇性、その作用の仕方がある、ということ?「浄化」ではなく、それは内的な方向に効果をもたらす、そういうもの、ということ・・・? pic.twitter.com/77tS2jL3oo
先程のはフルトヴェングラー『音楽を語る』からの抜粋でした。
「悲劇的浄化」と「純音楽」における悲劇の差を言い表しているということ、?
昨夜は、音楽における悲劇性の失敗!?と勘違いしてしまいましたが、純音楽においては、浄化ではなく、内的に作用する、単にそう言っているのでしょう、か?
悲劇は、その悲劇性ゆえに「救済」や「人間を向上させる」とのこと。
音楽における悲劇性は、そうはならない、と・・・。音楽では、個人的な、内に封じこもるような!?効果を悲劇性はもたらす、ということ?・・・なるほど?
良い悪いの問題ではなく、そういうもの、ということなら理解してきたかも
確かに、音楽における悲劇性では「心が浄化され、満足感が得られる」というものではない気はします・・・最近ベルクの《ソナタ》を手掛けて、その世紀末的な悲劇性は、ずっとそこに接していると気が滅入ってくるような、そんな気がしていたことが思い出されました・・・それはそれで面白いけど(苦笑)