音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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◆シューマンを死に追いやった犯人は・・・

2011年11月29日 | ◆一言◆
・・・こんな恐ろしいことを言うには、
期が・勢いがなければ出来ません!!
だから、
思い立った時・言える時に言ってみたいと思います。


昨年のシューマン生誕200年の際に、
シューマンにたくさん触れ合い、
そのついでか!?必然か!?
ロベルト・シューマンの妻、名ピアニスト、クララ・シューマンと、
そして、
1853年の秋、突如としてシューマン夫妻の前に現れた
20歳の若者、ヨハネス・ブラームスについて、
色々と考え、思いを巡らしました。


その結果、
明確に見えてきてしまったよう、
思わざるをえないことがあります。


ロベルト・シューマンが、
1854年の寒い冬の日、
突如として、ライン川に自ら身を投げたのは
あまりに有名な話です。

なぜ彼は、自らを死に追いやろうとしたのか!?

その原因を探ろうと、
世界中の多くの人々が
シューマンの死後150年以上たっても
興味を・・・いや、気にしている
という言葉を使う方が、辛うじて不謹慎を免れましょうか、
いや、いずれにせよ免れないでしょうか・・・


シューマンが身を投げた、そのおよそ半年前に、
彼の・彼ら夫妻の前に、
クラシック音楽の才能溢れる若者ブラームスが現れました。

シューマンは、
この若者を「新しい道」という表題の記事で世に紹介し、送り出しました。
その影響は、
当時の音楽界に一大センセーションを巻き起こしたことでしょう。
それゆえに、
ブラームス自身も苦しみ、
数十年もの歳月を経て、ようやく
クラシック音楽作曲家としての大切な証し《交響曲》を
やっと世に出すことができました・・・

若きブラームスを世に送り出したシューマンは、
その記事を書いた数週間後、
身を投げました。



シューマンを、そのような行動に駆り立てたのは、
きっと、間違いなく、ブラームスの存在です。


あるいは、
ブラームスが、そのキッカケとなった、
と言う方がより正確かもしれません。


ブラームスのクラシック音楽作曲家としての巨大な才能、
ベートーヴェンの後継者たりえる可能性を秘めている
その才能の片鱗を今日でも垣間見ることができるのが
ブラームスの《ピアノソナタ ハ長調 op.1》と言えましょうか。
シューマンが(同じく1853年の初夏にはリストも見ていたこの作品!!)聴き、
妻クララを呼び出して、再度ブラームスに演奏を要求したというこの曲。

シューマン自身、作曲家として自分が到達しえない限界があることを
この若者の作品を前に
まざまざと知らしめられてしまったかもしれません。

わずかハタチにして完璧な作曲家の姿で現れたブラームスという若き巨匠に、
この男にはかなわない、
という思いを抱いたであろう当時43歳だったシューマン・・・

ブラームス自身も、
自分がシューマンを追い込んだ張本人であることは、
間違いなく自覚していたはずです。

その確たる証拠があり、
それはブラームスの作曲した作品《バラード op.10》、
第一曲に関係している詩「エドワード」の内容は、
父親殺しを悲劇的に現したものなのです・・・

まさに、若きブラームスにとっての、
音楽家としての恩ある父親同然であったシューマンを
川に飛び込むまでに追いやってしまったことを
自覚していた、明解な証拠ではないでしょうか。

ブラームスと、シューマンの妻クララとの間に芽生えたかもしれない恋愛関係に、
夫ロベルトが嫉妬し、自ら身を投げたという話もあるのですが、
身投げの原因はそういうレヴェルの問題ではない、と、今の私は思います。

作曲家シューマンとしての音楽生活における様々な困難・限界の自覚が積み重なり、
突如自分の前に現れた若き天才の出現によって
ついにまるで決定打のように突き付けられてしまったそのショックの方が、
シューマンにとっての一大事だったのではと
想像されずにはいられない気がするのです。

それはシューマンやブラームスの楽曲を勉強するにしたがって、
彼らの作品を通して、音楽家としてのこの真実は
より一層明瞭になってくるような気がするのです。

彼らの音楽に触れれば、
それがわかってくるのだと思うのです。



よって、
シューマンの死の原因は、
シューマン自身の限界への自覚と失望、
引き金となったブラームスの出現、
ということなのでしょうか。


身を投げた本人・・・その底知れぬ苦悩、
そのキッカケとなってしまった人間・・・それを一生背負い続ける人生、
それを間近で見ていた妻・・・その後の人生を未亡人として毅然と生き続けた、

ロベルト・シューマン、
ヨハネス・ブラームス、
クララ・シューマン、

三人を取り巻く音楽家としての・人間としての悲劇が、
昨年のシューマン・イヤーを期に、
私の脳裏に渦巻いています。



・・・それにしても、こんなことは
思う人は思っていて、知る人は知っていて、
わざわざ言う必要はないことなのかもしれない・・・
軽々しく言うのは(軽々しいつもりはありませんが!!
・・・しかしきっとやはり言うこと自体が、
軽々しさをともなっているのかもしれれず・・・)
不謹慎で、大人のすることでは無いのかもしれない・・・

されど、冒頭に言い訳しました通り、
言えるときに、言っておきたい、とも思い立ったのです。

様々な人間像の一面を映し出す鏡のような役割を持つ芸術として、
シューマン・ブラームスの作品が人間にとっての一種の普遍性を内在させ、
今日、そして未来の人々にこれが伝えられ、
その偉大な価値が認められ続けることが、
悲劇的な人生でもあった彼らの労力に報いることとなりましょうか。

偉大な天才たちの偉業に、敬意を表しつつ、この文章をおしまいにします。











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1 コメント

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Unknown (小島あきこ)
2021-10-04 13:56:26
初めてコメントさせていただきます。
調べたいことがありネットサーフィンするうち、こちらのブログが目に留まりました。

私はクラシックに詳しいという訳でもなく、音楽に深く関わっている訳でもありません。普通の音楽好きの74歳主婦ですが、少し目を通して戴けたら嬉しく思います。

昔、私が中学生くらいの時期に、暇を見付けて父が大切にしていたSPレコードを蓄音機に掛け、ひたすら聴いていた事があります。偶にラテン、ジャズ等も混じっていた気がしますが殆どがクラシック。

私は中学生の女の子らしく?ヴァイオリン曲をよく聴きました。そこに父がやって来て必ず言うのです。「君に取って置きの曲を聴かせてあげよう!」それがシューマンでした。

私の記憶が正しければ「ヴォラオッホナッハゲットルンゲン??」というタイトルで、今から身投げしに行く時に作った曲だと。決意を強くする為か?その歌声はとても力強く、60年位経った今でも私の耳に残っています。(中学生には少し刺激が強かったかもです)

しかし残念ながら、ネットを調べてもそんな曲は出て来ないのです。あれは本当にシューマンの曲だったのか?今では私の中に謎として残っています。
唯一シューマンが作ったとされる歌劇??の中に出てくるのでしょうか?

こんな素人の戯言にお付合いいただき、申し訳ありません。私の情報の何かが間違っているかも知れませんが、ほんの少しの可能性を期待してコメントさせていただきました。
お忙しい中、お読みいただきありがとうございました。
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