・・・高音で「doとsi」がぶつかるモーツァルトの音楽・・・まさに「痛切」な音楽表現!?
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年10月21日 - 00:12
「疾走する涙」とかなんとか、言った人がいたような・・・(HK)
この場所、モーツァルトにおける長調の曲の展開部、突如現れる「短調」の響き… twitter.com/i/web/status/7…
・・・小林秀雄は、冷徹な審美眼を表現する批評家のようでいて、実はその真髄の魂はロマンティスト!?!?
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年10月21日 - 00:13
・・・先日「ナポリの音はdolce!?」と呟いたのですが、今はそれだけでは足らず!?「ナポリはdolce&espressivo」とまで言った方が適切なのでは!?・・・と、思い付きました
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年10月21日 - 00:21
(やっぱりモーツァルトを勉強しながら) pic.twitter.com/b7HIO2AKit
モーツァルトは「厳格な楽節感」には、あまり興味がない!?
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年10月21日 - 00:30
協奏曲において、ソロとオケの入れ替わる際、その楽節の区切り目が実に曖昧なことが少なからずあり、解釈者としてはとても困るのですが・・・そもそも作曲者が、その楽節の明快さに興味… twitter.com/i/web/status/7…
本番に向けて準備練習勉強中・・・
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年10月21日 - 12:25
音の粒を揃える、音の輪郭が聴こえるようにハッキリさせる、拍感が分かり易いように、・・・etc.
これら「物質的な次元」?での音楽造りは、もちろんせねばならないこと・・・しかし、どうもにも「感動」にはならない分野らしく、
その両立!?に苦悶中・・・
音楽(演奏)造りにおいては、異なる次元での作業がある、とハッキリ自覚するといいのかも!?
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年10月21日 - 12:28
これは、物質的に整える次元、
これは、音楽の感動を生むための勉強と準備(この方が高次元!)等、
どちらも不可欠、分けて考えて練習していたら・・・苦悶せずにすむ!?
さてさて・・・どうやら
テンポが崩れないよう整えることが大事なのか!?
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年10月21日 - 12:43
音楽的な意味が表現されるために、必要なルバートを練習するのが大事なのか!?
まずは整えてから、それからルバートするよう音楽教育では常識として教えられるが、「まずは整えてから」?その必要、本当にあるのかしら?常識に囚われず今一度考察し
音楽家のプロを育てるための音楽教育が、必ずしも芸術を育てる教育であるとは限らないのではないだろうかと・・・最近懐疑的になっています・・・
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年10月21日 - 12:45
もちろん!基本の無い滅茶苦茶な自由(←自由と言いたくは無い)からは、充足感ある感動は生まれないと予想されますが。
音楽芸術的に、必要不可欠な、理に適った、なければならない!?ルバートは必ずあります。ベートーヴェンは、それが出来た時に喜んでいた!!とか言われていますし!
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年10月21日 - 13:01
一見楽譜に書かれていないルバート、これをする、すなわちこれ「楽譜を読む・行間を読む」?とか言われるのだと思われます
音楽的に不必要なルバートは、しては美しくなく、よい表現とはならないでしょう・・・
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年10月21日 - 13:03
不必要なルバートなのか、必要なルバートなのか!?その判断は如何に!?
これ判断できたら名人!?(笑)
メヌエットという音楽は「6拍子」と捉えるとよい、のだそうです。
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年10月21日 - 15:19
今モーツァルトの楽譜を目にしたとき、確かに、単なる「3拍子が2小節」ではなく、メヌエット舞曲のステップ、1・2拍のポーズ、3・4・5と動く、それと一致するような気がし… twitter.com/i/web/status/7…
音楽演奏の感動に結び付く最大の要素は、音の意味が表現されていること、なのかもしれない?
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年10月21日 - 16:11
音の濁り(不協和音)は美味なスパイス!!ではあるけれど、感動を多くするスパイスにはなっても、スパイスそのものだけで感動し続けることはない?
音の意味が出来てこそ、!?
「だが、この予感されたる精神の世界も、表現されるためには此岸(しがん)の現実を必要とするのであります。」
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年10月21日 - 22:18
これE.フィッシャー(20世紀中旬ドイツの偉大
ピアニスト)の言葉・・・ そう!!この言葉は私は何十年も前から知っている!!
「此岸の現実」・・・あらためて、そう。
クラシック音楽において・・・
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年10月21日 - 22:48
「なんで楽譜に書いてないことをするの!?」
「なんで楽譜の行間を読まないの!?」
・・・
いやはや、はてさて・・・