音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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ラヴェル作曲《トッカータ》(「クープランの墓」より)のスタッカートの問題 ~ 10月14日(火)のつぶやき

2014年10月15日 | ラヴェル Maurice Ravel

音(楽譜に書かれた)の真実に迫らんと考察するとき、今まで思いもしなかったような!様々なことが見えてくるかもしれません。今まで何の気なしに当たり前に思っていたラヴェル作曲《トッカータ》の冒頭に書かれた「staccato」という言葉をよく考察していたら・・・なんと


ラヴェル作曲《トッカータ》は、今まで当たり前のようにスタッカートの音楽だと思っていましたが、もしかするとただ単にスタッカートと考えなてはならない、音の連なりがあるのかもしれないと、考えられました。もちろんレガートの音楽ではないでしょうが!しかし何か繋がりがあるよう


ラヴェル作曲《トッカータ》の冒頭に「staccato」と書かれているその意図が、連打される音達がまさに文字通り「お互い離れて」弾かれるような要求だとすると、ピアノ演奏においてここはペダルを使わないことが必然となるでしょう。だってペダルを使うと音がつながってしまうから!


よって冒頭はペダルを使わず、普通に連打するだけでも音同士は自然と離れ、作曲者の意図は達成されるはずです(もちろんppの音量にも注意しながら!)。そして問題はその後、連打音が終り左右交互に弾かれる音達が「stacc.」なのかどうか!?今日の私は、これらの音はあまりそうでなく


ラヴェル《トッカータ》は、無闇やたらとスタッカートで弾かれるべきではない音楽なのでは!?と思い始めました・・・もちろん、レガートの音楽でもない(途中のメロディは美しいレガートの旋律ですが!)、しかし、不必要にスタッカートで演奏しようとしては、この曲の真髄から離れてしまうのかも!?


鍵盤をスタッカートで弾き続けることで、腕は硬直してゆき、その結果はあまり美しい音楽的効果が現れるとは思われません。超絶技巧で人を唸らせる!ならこれもよいかもしれませんが、ラヴェル《トッカータ》は、超絶技巧曲?もちろん高度な技術が必要ですが、この音楽は・・・「祈り」なのだから


ほら、やった!!《トッカータ》冒頭から2頁ほど、最後の方ではいつもどうしても腕の疲労感があったのに、今「あまりスタッカートではなく」と考えながら弾いたら、疲労がなく成功しました!音がパラパラと端切れよく聴こえるには、ただ正確に音価を狙ってゆけばうまくいきそう


余計なことはせず(不必要にスタッカートとせず)、ただひたすら、あるべき姿を楽譜から読み取り、忠実に再現してゆこうとする心構えが、クラシック音楽に向き合って生きる日々に充実感をもたらしてくれます。がんばって生きています!(笑)


ラヴェル《トッカータ》・・・次に連打される音は、書かれている音価より短めでなければならない。連打されない音達は、不必要にスタッカートなぞにせず、ただ音価通りの長さとなるよう、隅々まで心掛けると・・・この曲の真髄が明らかになる!?そんな気がしてきています。それはこの曲だけでなく、あらゆるクラシック音楽の演奏解釈においても同じよう!?


ラヴェル《トッカータ》の弾き方をこのように考えてゆくと、どの音を左右どちらの手で弾くべきかは、余計なことをせず、楽譜に書かれている通りの手で弾くことが結局は理想のように思えてきました。不必要にスタッカートで弾こうとするからアレンジが必要となった!?


どの音が連打される音で、どの音は連打されない音か、それを詳細に渡って全て調べ尽くすことで、この曲を演奏するにあたっての大きなヒントが得られるような気がします


あぁ!!無闇やたらと闇雲にこの曲を弾いてきて何年!!(十数年!?)・・・自分は何をやっていたのだろうと、後ろを振り返るとなんだかとっても情けない気になってきますが・・・前向きに思うなら、今までに気付かなかったことに気付けてよかった!と、楽観的になれるかしら


クラシック音楽の演奏とは、完璧・完全を目指すものではない、出来ることを目指すと、沢山の魅力的な答えが現れてくる。・・・!?これが「パーフェクト」!? パーフェクトを完璧・完全と訳すことに違和感を持ち始め、常日頃考え中でして、そうしたらこんな考えに至った


名人・大天才作曲家が丁寧に書き記した楽譜には、出来ないことは書かれていない!と思われる今日この頃です。我々は、自分の持つ最大限の能力でもって、それがよく出来るよう努める(務める)、これがクラシック音楽を演奏できる喜びであるように私には強く感じられ始めました


理想の音楽が、出来る、その時、心はよろこびに満ち溢れる!!その心とは、その場その時の音を享受するあらゆる人々の心のこと、奏者も含めて。感動を共有する快感、これ至高のもののひとつ?

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日本語において「パーフェクト」という言葉が「完璧・完全」と訳され、人にそういう意味に解されるならば、クラシック音楽の演奏においては、私はこれを目標には立てないことにしたい。別の目標、それは「出来る」ということ。その真実を追究してゆきたい

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・・・ちょっと調子にのりすぎかしら・・・(自爆)


「真実」というものを、無闇に大それたものと思い過ぎていたのかもしれない・・・真実は、そこら中に転がっている!!!(笑)
真実達を見付けることが可能なら、真実を追求する姿勢をゆるめずに生きてゆくことは、不可能なことではない!?さて、我々に出来ることは!?



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