音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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◆永遠の歓びを求めて ~ブラームス《ドイツ・レクイエム》第2楽章「後半」 解説

2008年04月01日 | ブラームス《ドイツ・レクイエム》

ブラームス《ドイツ・レクイエム》第2楽章


中間部の心安らぐ(かのように見える!?)
「雨の慈愛」に幕を降ろすのは、再びホルンの役割です。
不気味なホルンの単音ユニゾンの響きは、
この楽章冒頭を完全に回帰させます。再現部へと導くのです。
http://blog.goo.ne.jp/pianist-gensegawa/e/9aae2a19caa72cd4c81f19b976a9011d(提示部参照)

諸行無常の嘆きが、再び繰り返されるのです・・・


Aber!(しかし)


という言葉の叫びとともに状況は一変!!


  Aber des Herrn Wort bleibet in ewigkeit.
  しかし主の言葉は永久(とこしえ)に残るもの


指揮者シュナイト先生は、この瞬間を
非常にキリスト教的なもの、しかも
Ewangelischプロテスタント的なものと
強く感じるそうです。すなわち、
プロテスタント宗派の始祖、ドイツの
Martin Rutherマルティン・ルターを思い出すそうです。


「聖書の言葉」
それは


初めに言葉ありき、言葉は神と共にありき、言葉は神であった。
(新約聖書 ヨハネによる福音書 第一章一節)


ということでもありましょうか。
「言葉」の存在と我々人間の「生」に、
並々ならぬ関連があるのかもしれません。
テクストは続きます、力強い、希望に満ち溢れた音楽と共に!!


  Die Erloeseten des Herrn werden wieder kommen
  und gen Zion kommen mit Jauchzen;
  (主にあがなわれし者は再びやってくる、
   そしてシオンは喜びの雄叫びと共にやってくる)


ここに出てくる
"Jauchzen"という言葉にぴったりくるかな、と思ったのが
今のシーズンの日本における恒例の行事


「春の高校野球」


では、試合毎に、勝利を手にする青少年達が
歓びを身体一杯に表わすのを、
目にすることができるのではないでしょうか?

あれが、まさに「Jauchzen」かな、なぞと思うのでした。



  Ewige Freude wird ueber Ihrem Haupte sein,
  (永遠の歓喜はあなたの頭上にある)
  Freude und Wonne werden sie ergreifen
  (歓びと愉しみが彼らには獲得される)
  und Schmerz und Seufzen wird weg muessen.
  (そして痛みとため息は退けられなければならないはずだ)



「Freude歓喜」を高らかに歌うのは、
ベートーヴェンのあの不朽の名作《第九交響曲》にもあります。
力いっぱい、歓び溢れ・・・!!
・・・しかし・・・


「ewige Freude永遠の歓び」を夢見ながら、
この楽章も静かに幕を閉じるのです・・・


つづく


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