ベートーヴェンの後期作品の多くが
「長調」で曲を閉じることを前回書きました。
最近自分が耳にすることの出来た
後期の弦楽四重奏もそうでした。
最も有名な《第九シンフォニー》だって、言うに及ばず。
『不滅の恋人への手紙』に出てくる
「天の殿堂」なる言葉を勘ぐるならば、
もしかすると、不滅の恋人がこの世を去って、
いつか彼女を追いかけ、共にあちらの世界で
一緒になることをも夢見ていたのかもしれない・・・
・・・そんな想像は絶えません・・・。
・・・ところが、
そんなベートーヴェンの最期の言葉に驚かされます。
雷鳴の轟く中、こぶしを振り上げたこの巨人は
次のような言葉を残し、この世を去ったというのです
「"Applaus, Freunde, die Komoedie ist vorbei"
拍手せよ、諸君、喜劇は過ぎ去った――」
・・・「喜劇」とはなんなのでしょうか?
謎めいていて
いくつもの解釈が可能そうなこの言葉を、
最近の自分が思い巡らすには、
後期作品達の性格・終わり方にヒントの糸を手繰ってみて
もしもベートーヴェンが「天の殿堂」を夢見て
これらの後期の楽曲を書いていたのだとするならば、
これらの音楽、これらのベートーヴェンの
なさんとしていた仕事が「喜劇」であったのかと
考えてみることもできなくはなさそうです・・・
そして、本当の死を目前にした巨人が
現実となる死を目の前にしてほとばしった言葉を、
音楽と照らし合わせてみると、
なんとも胸を締め付けられる思いがします。
どの音楽と照らし合わせる?
それはベートーヴェン本人のものでなく、
名実共にベートーヴェンの後継者と呼ばれる作曲家、
ブラームスBrahms、
その後期の音楽達を聴きながら
ふとそう思ってしまったのです。
すなわち、ブラームスは
「喜劇の終演」を作曲しているのではないかと・・・
つづく
「長調」で曲を閉じることを前回書きました。
最近自分が耳にすることの出来た
後期の弦楽四重奏もそうでした。
最も有名な《第九シンフォニー》だって、言うに及ばず。
『不滅の恋人への手紙』に出てくる
「天の殿堂」なる言葉を勘ぐるならば、
もしかすると、不滅の恋人がこの世を去って、
いつか彼女を追いかけ、共にあちらの世界で
一緒になることをも夢見ていたのかもしれない・・・
・・・そんな想像は絶えません・・・。
・・・ところが、
そんなベートーヴェンの最期の言葉に驚かされます。
雷鳴の轟く中、こぶしを振り上げたこの巨人は
次のような言葉を残し、この世を去ったというのです
「"Applaus, Freunde, die Komoedie ist vorbei"
拍手せよ、諸君、喜劇は過ぎ去った――」
・・・「喜劇」とはなんなのでしょうか?
謎めいていて
いくつもの解釈が可能そうなこの言葉を、
最近の自分が思い巡らすには、
後期作品達の性格・終わり方にヒントの糸を手繰ってみて
もしもベートーヴェンが「天の殿堂」を夢見て
これらの後期の楽曲を書いていたのだとするならば、
これらの音楽、これらのベートーヴェンの
なさんとしていた仕事が「喜劇」であったのかと
考えてみることもできなくはなさそうです・・・
そして、本当の死を目前にした巨人が
現実となる死を目の前にしてほとばしった言葉を、
音楽と照らし合わせてみると、
なんとも胸を締め付けられる思いがします。
どの音楽と照らし合わせる?
それはベートーヴェン本人のものでなく、
名実共にベートーヴェンの後継者と呼ばれる作曲家、
ブラームスBrahms、
その後期の音楽達を聴きながら
ふとそう思ってしまったのです。
すなわち、ブラームスは
「喜劇の終演」を作曲しているのではないかと・・・
つづく