音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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ドビュッシー作曲《ラヴィーヌ将軍》について(M.ロン著『ドビュッシーとピアノ曲』より)

2018年08月15日 | ドビュッシー Claude Debussy
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前奏曲集第2巻第6曲の『変り者のラヴィーヌ将軍』は
今世紀初頭のグロック曲馬団から出たメドラーノ曲馬団の
ひとりの道化役者からヒントをえたものでした。

この曲芸師、この木の男は
うわべはユーモアや茶化しまくしたてたりしながら、
実は感じやすい心の持主でした。

ドビュッシーによる彼の肖像、いや音像は
音楽家自身の感情の動きを思わずさらけだしているようなものだったのです。

というのは、すぐ側で見ているときは、
優しさと皮肉がドビュッシーの性格のきわだった特徴のように思えますが、
それは友情と年齢と病気とによって和らげられた《揶揄》の精神でした。
そして若い頃にはドビュッシーもまた、人生に向かってそれによって
胸を張っていなければならなかったのです(ラヴィーヌ将軍のように!)。

わたしはこの種の自己防衛が、
30代のドビュッシーの手紙の中にも見られるように思います。それは
当時のもっとも親友だったピエール・ルイスに宛てたもので、
恋に破れたときの心情を書きつらねたものでした。

わたしにはそれがあってはじめて、第6番前奏曲の束の間の、計算づくの郷愁が、
魂の平衡をとり戻せない状況をあらわしている気がしてならないのです。

「……わたしはやはり心が動転してしまいました。そしてまた君があまりにも遠くにいることが悲しく、君に手紙を書こうとする気力さえなかったのです。世間でいう、困ったときには友を、ということも、文字の上ではどうにもならないことのように思えます。
 君は『みんなあいつの方が悪いんだ』と思っているでしょうが、わたしもときおりは、ショパンの愛人だったらしい婦人服店の女のように感傷的なのです。実は、個人的なそして紙のような責任でしかかかわりのない化学(錬金術=音楽)を堕ちついてするかわりに、わたしの心がまだ慄きを見せるだけの感受性が果たしてあるのかをしりたいのです……」

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