音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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◆高みを目指す?深みを目指す?そこに微妙なニュアンスの違いが

2007年10月12日 | その他

ものごとを追求するに当たって、
「高みを目指す」という言葉と
「深みを目指す」という二つを挙げるとします。

一見同じような意味合いで使われるこの二つ、
(少なくとも、今までの自分はあまりそこまで考えて
両者を使い分けはしていなかったのですが)
ふと、今日は考えてみて、
両者に微妙なニュアンスの違いがあるように思われたのです。

「高み」「深み」

どちらも、現在いる状態よりも
さらなるレヴェルを表わす言葉だと思いますが、
方向性が違うようです。


「高み」とは、上のほうへ。


「深み」とは、下のほうへ。


いやはや、当たり前のことなのかもしれません。
しかし、今日ふと自分が、さらなるレヴェルを求めて
このどちらかの言葉を使おうとしたとき、
「高み」
という言葉に対して、なんとも抵抗感を感じたのです。
そして、
「深み」という言葉のほうがしっくりときた・・・

その差は何?
と、もんもんと考えてみたのですが・・・


「高み」を目指すとします。
目指した先は、高いところ、
胆略的に人さまと比較するのならば、
他の人よりも高いところを目指さんとする、
そういうニュアンスが嗅ぎ取れないわけではない・・・

「深み」を目指すとします。
目指した先は、深いところ、
すると、他人と比較したところで、
「人様の上に立とう」というニュアンスは
ここには見られません。
それどころか、人様の下へゆこうとする
買いかぶってこの言葉を見てみると、
より謙虚な姿勢すら、この「深み」には
見出すことができるのかもしれません。


たんなる言葉遊び、
言葉尻をつかむ意地悪・・・
というわけでもなさそうと、
今の自分は感じています。


「上に立とう」とする考えが悪い、
というのでは全くありません。
よい悪いの問題ではない、
単に、この「高み」と「深み」という言葉の意味合いを
検証してみようという試みに過ぎません。


人様の上か下か、
そんなことを考えることすら
卑しいとも言えます・・・しかし、
多少の上下(時に多少でないことだってありえるかもしれない)
があるのは、この世界において
やむを得ないこととして、我々はこれを
受諾する必要がありましょう・・・


で、せっかくこれに疑問を持ったのだから、
これからは、ちょっと正確にこれを使い分けてみたい、
そんなことを思ったわけでした・・・。


ちなみに、
「高みを目指そう」とした人間は
どんな人がいるかな?なぞと考え頭に浮かんだのは、
かつてのベルリンフィルの常任指揮者


帝王カラヤン


・・・「帝王」なぞと世間で呼ばれるあたりが
「高み」に達する人間を言い表しているようでもあります。
それはそれで立派な生涯。立派な生き様。もちろん、
そんなカラヤンの生き様に
反発を抱く人がいてもおかしくはないでしょう。
しつこいようですが、
よい悪いの問題ではなく、
そういう生き方がある、ということに
考えを巡らしているだけに過ぎません。



先日、日本の首相となるべく
二人の人物が選挙されました。
乱暴で胆略的かもしれませんが、
このお二人に「高み」「深み」
という言葉を当てはめてみると、

麻生氏は「高みを目指す人」
福田氏は「深みを目指す人」

そんなタイプの違いが
このお二人から見えるよう思えるのでした。


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1 コメント

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Unknown (アメ民)
2007-10-16 01:19:36
「高み」は外見から計り知る事ができるものとも言えませんか?例えば他人からの評判とか社会での己の地位とか立ち位置だとか・・。

「深み」は外見から計り知れませんよね?
そうやって考えると芸術家たちは皆 
我々の物指しではなかなか計り知れない・・。

難しいなあ。

ピアノがんばってるかー?

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