クラシック音楽における和声・ハーモニーとは、その楽曲における、まさにその作曲家の心そのものを現しているよう!、今バッハ《平均律》を弾きながら思いました・・・音量指示や標記の全くない音符だけ書かれた楽譜からは、まさに和声こそが音楽の真髄として伝えられているような気がしてきます
余計なことは何も書かれていないバッハ《平均律》の楽譜・・・何も書かれていないからといって表情が無いことでは全くなく!書かれた音符達を奏で、その合わさる音、流れゆく音の「和声」に心寄せる時、数百年の時を越えた素晴らしい音楽が今ここにあることに感動する・・・これクラシックの醍醐味
弾いているのは《平均律K曲集1巻8番es-moll前奏曲》・・・ピアノ椅子にあぐらをかいて(冗談ではなく、こうするとペダルを全く使わず、手指によってのみ音楽を奏でる実感が強まる気がします) 痛切とも感じられる悲哀、バッハの心は、ただ和声によって表現されている
和声とは? 調性、転調、その調性における音の役割、主音、属音、下属音、導音、そして協和音と不協和音、etc... これらの音を巧みに操った人が三百年くらい昔に書かれた楽譜・・・ここからは、とてつもなく高い価値が感じられてくる気がします
楽譜に書かれた音符を「正しく」演奏するとは、ミスタッチをしない、テンポを崩さないといった無機質な詰まらない正しさなぞではない、敢えて言うなら「解釈が正しい」ことを目指すのが「正しく演奏する」ということ?
正しい解釈、正しい音楽は、あると思います。和声学的解釈には、確実な答があるのです。机上の空論ではない、魅力ある音楽の流れは、和声にあり。和声の真実に目を・耳を・脳を閉ざしてしまったら、この道に先は無い・・・過去の偉大な作者が配した音達の有する真の力を求めん
「正しく演奏」するとは、ミスタッチをしないなぞという詰まらないことではなく、「正しく解釈する」のような意味合いで言わないと、間違った価値観を人に与えてしまう・・・これなかなか危険な言葉のように思えてきました。それでも「正しい」という言葉を音楽において使いたい考えは収まりませんが!
まずは、転調したことを把握する、そしてその調性における音の意味合いを探る。和声的な楽曲解析の仕方を、昨年の終わり3ヶ月くらいから実践している最中なのです。具体的で簡素な楽譜への書き込み方を、某教科書を参考に見付け!これをみんなで一緒に勉強したいのです
僭越ながら、ステージに上がることもある現役のピアニストとして、演奏の現場における和声解析の実用性が強く実感されますゆえ、これを世に広めてゆきたい、音楽する人の勉強の役に立ちたい!・・・微力な存在ではありますが、そう思って生きております