「解釈でころころ変えられては困る」(某自衛官の言葉)・・・軽視できない、大事な言葉のように思われました(芸術家としても)(追記;クラシック音楽演奏者はドイツなどではときに「解釈者」と呼ばれることもあり、「解釈」という言葉は自分に無関係なものではないため、気になってしまいました)
「解釈」は、軽んじることは出来ない人間の大事な行為だと思います。しかし、これが普遍性に属さず、自分勝手に堕落する時、被害が出てしまう危険を有するのだろうか・・・よく気を付け、注意したく思います
今日の音楽道場でハッキリしたこと、それはラヴェル《オンディーヌ》を取り上げながら、作曲家本人が、出版される楽譜に詩を掲載したか、しなかったか、ここに「表題音楽・絶対音楽」の違いが表れているのではないか!?と。ラヴェル・リストは前者、ドビュッシー・ショパンは後者のタイプ
表題音楽か、絶対音楽か、これは、どちらが良いか悪いかという問題ではないのでしょう。あくまで「タイプの違い」と理解すべきと思われます。「絶対音楽」の方が、なんだか純粋な感じがしてレヴェルが高いような印象を持ちますが(苦笑)、いや、そうとは言い切れない。胆略な考えに警戒すべし
今日はクラシック音楽道場にて、ラヴェル《オンディーヌ》について、無我(?)夢中に発表させていただきました。主役であるオンディーヌの悪口を言ってしまい御免なさいでしたが、作曲者ラヴェルが怪物的な音を使っているので!・・・オンディーヌが機嫌を損ねなければよいのですが(苦笑)おやすみなさい