年度末、日曜日の午前は
政治について話が盛り上がるものですね。
そんな報道番組を見ながら思うことがありました。
【政治家】、
そしてもちろん政治家に限らない一生懸命仕事をするあらゆる人達、
その人達の仕事をする「目的」とは、それぞれに何なのだろうか?と。
目的は千差万別、人によってそれぞれ、で良いと思います。
ところで、
今日の政治界において騒がれる渦中の一人物を見ながら、
果たして彼の打ち立てる改革案の数々は、
与党内でも歓迎されている風には見えず、
我々国民にとっても釈然としないイマイチな印象を拭えないようです・・・
彼の案が、良いのか、悪いのか、
その内容の是非は僕にはなんとも答えられません。
(先程ご本人も「それはやってみなければ分からない」と発言していたかも・・・)
いずれにしろ、
国という巨大な組織を動かす政治という仕事の非常な難しさ、
誰に、何が正しいか、それは「分からない」と言ってよいのだと思います。
だけど、今そこで仕事し発言する政治家を前に、
その人間に任せるか、同意するかは、反対するのかは、
我々自身も大人として判断を迫られるものでもあります。
そこでこんなことが思い浮かびました。
この政治家、根本的なところでこの人間は、何を目的に政治をしているのだろう!?
「政治のために政治家をしている」のか、あるいは
「政治家になるために・政治家であるために政治家をしている」のか・・・
この差は大きい・・・と思います。
目的は人それぞれ、
「政治家になりたい!」という目的を掲げて一生懸命になることは
決して悪いことではありません。(逆に、今の日本には、
このような気概ある人、あるいは子供達の夢としても滅多に無くなってしまい、
これはあまりにも頼りないという話もよく聞くところですね・・・)
とはいえ、このような目的意識は
やっぱり主目的であって欲しくはない気がする・・・
あまりに個人的な、下手をするとエゴイスツィックな方向へ
向かってしまう危険をはらんでいるように思えるのです・・・
さて・・・慣れない政治なぞのことを書いてきましたが、
このような問題、
政治家に限らなぬあらゆる職業、そしてもちろん
【音楽家】
にも同じことが言えるのだと思います。
演奏家が・ピアニストが、
「ピアニストであるために舞台に立つのか」、あるいは
「音楽するためにピアニストとして舞台に立つのか」・・・
・・・こう書きながらも難しいのは、
「ピアニストになりたい」と思う気持ち、
「ピアニストたらん」とする気概は、
決して一概に悪いものだと言うことはできません・・・
でも、やっぱり、これは主目的にして欲しくはない気がする・・・
音楽会の舞台とは、
音楽を皆で聴き・共有する場であって、
ピアニストは・演奏家はその大事な一役を担うのだという心構えが、
なんだか清々しく理想的なことに思えるのです。
当たり前のことかもしれませんが、
(当たり前だからといって軽んじる事はできませんし)
「音楽するために音楽家である」ことは、
音楽というひとつのかけがえのない仕事をするに当たっての基本にありたいと思うのです。
【政治家】、
政治という大きな大事な仕事を担う人々もまた、
彼等には、自身が政治家であることに執着するのでない
「政治をするために政治家である」人々であって欲しいと願います。
じゃあ、自分でそういう人を選べばいいのですよね!、選挙で。
それが民主主義選挙政治の在り方ということなのでしょうか。
♪
政治について話が盛り上がるものですね。
そんな報道番組を見ながら思うことがありました。
【政治家】、
そしてもちろん政治家に限らない一生懸命仕事をするあらゆる人達、
その人達の仕事をする「目的」とは、それぞれに何なのだろうか?と。
目的は千差万別、人によってそれぞれ、で良いと思います。
ところで、
今日の政治界において騒がれる渦中の一人物を見ながら、
果たして彼の打ち立てる改革案の数々は、
与党内でも歓迎されている風には見えず、
我々国民にとっても釈然としないイマイチな印象を拭えないようです・・・
彼の案が、良いのか、悪いのか、
その内容の是非は僕にはなんとも答えられません。
(先程ご本人も「それはやってみなければ分からない」と発言していたかも・・・)
いずれにしろ、
国という巨大な組織を動かす政治という仕事の非常な難しさ、
誰に、何が正しいか、それは「分からない」と言ってよいのだと思います。
だけど、今そこで仕事し発言する政治家を前に、
その人間に任せるか、同意するかは、反対するのかは、
我々自身も大人として判断を迫られるものでもあります。
そこでこんなことが思い浮かびました。
この政治家、根本的なところでこの人間は、何を目的に政治をしているのだろう!?
「政治のために政治家をしている」のか、あるいは
「政治家になるために・政治家であるために政治家をしている」のか・・・
この差は大きい・・・と思います。
目的は人それぞれ、
「政治家になりたい!」という目的を掲げて一生懸命になることは
決して悪いことではありません。(逆に、今の日本には、
このような気概ある人、あるいは子供達の夢としても滅多に無くなってしまい、
これはあまりにも頼りないという話もよく聞くところですね・・・)
とはいえ、このような目的意識は
やっぱり主目的であって欲しくはない気がする・・・
あまりに個人的な、下手をするとエゴイスツィックな方向へ
向かってしまう危険をはらんでいるように思えるのです・・・
さて・・・慣れない政治なぞのことを書いてきましたが、
このような問題、
政治家に限らなぬあらゆる職業、そしてもちろん
【音楽家】
にも同じことが言えるのだと思います。
演奏家が・ピアニストが、
「ピアニストであるために舞台に立つのか」、あるいは
「音楽するためにピアニストとして舞台に立つのか」・・・
・・・こう書きながらも難しいのは、
「ピアニストになりたい」と思う気持ち、
「ピアニストたらん」とする気概は、
決して一概に悪いものだと言うことはできません・・・
でも、やっぱり、これは主目的にして欲しくはない気がする・・・
音楽会の舞台とは、
音楽を皆で聴き・共有する場であって、
ピアニストは・演奏家はその大事な一役を担うのだという心構えが、
なんだか清々しく理想的なことに思えるのです。
当たり前のことかもしれませんが、
(当たり前だからといって軽んじる事はできませんし)
「音楽するために音楽家である」ことは、
音楽というひとつのかけがえのない仕事をするに当たっての基本にありたいと思うのです。
【政治家】、
政治という大きな大事な仕事を担う人々もまた、
彼等には、自身が政治家であることに執着するのでない
「政治をするために政治家である」人々であって欲しいと願います。
じゃあ、自分でそういう人を選べばいいのですよね!、選挙で。
それが民主主義選挙政治の在り方ということなのでしょうか。
♪