I楽章のc-moll(ハ短調)の冒頭の和音は、曰く付きといえましょうか。
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どんな曰くかというと、
作曲者による冒頭の「fp」の指示が、弾くものをなんとも戸惑わせます。
なぜなら、
ピアノという楽器は構造上、一度音を鳴らしてしまうと
その後の鍵盤上での音量のコントロールは、基本的には不可能となります。
よって、この冒頭の和音を「f」で力強く鳴らした後に
「p」に落とすことは、物理的には基本的に不可能といえます。
……………………………………………………………
☆ベートーヴェンは時に、ピアノという楽器では演奏不可能な
指示を楽譜に書き記すことがあります。
例えば、長い和音の持続に「<(クレッシェンド)」を指示してみたり。
これは先に書いたピアノの構造上、物理的には不可能といえますが、
音楽の「内的なクレッシェンド」「内的な向上」と考えると、
こういう部分の納得がいったりするものです。
ベートーヴェンほどの大作曲は、まず、無駄な、必要のないことを
楽譜には書き記していないはずです。
☆2
ついでといってはなんですが、
ピアノの詩人といわれるショパンでも、こういった物理的演奏不可能な
指示を書き記しています。後期の《ノクターン16番 op.55-2》の
最後の和音がそれです。
……………………………………………………………
しかし、裏技を使いますと、
実際の音としてこの「fp」を実現可能にする手段が無くもありません!
ご紹介いたしますと、
①ペダルと共に和音を「f」で力強く弾き、
②ペダルで音を残しながら、一旦鍵盤から手を離し、すぐさま
③再び音が鳴らないように、同じ鍵盤を押さえ直し、
④そして、ペダルを離す
という方法です(全動作時間約1秒間)。
(この技は、世界的ピアニストのAndras Schiffが実際に使って
いたのを、彼のコンサートで目撃しています。さらには、彼の
レッスンを聴講したとき、《悲愴》ではないのですが、似てるような
箇所でこの技を勧めていたようにも記憶しています)
これが成功しますと、「f」で鳴らされた和音が、鍵盤を押さえ直し
ペダルを離した時点で、一段階音量が落ちたような感じになり、
「fp」が実現した、と聴こえなくもありません。
そして一番大事なことは、物理的な音の強弱ということのみでなく、
●演奏者の内的なダイナミクスの急激な減衰として
この「fp」を捉えることで、音楽的なこの箇所の在り方が
いよいよ意味を成してくるのではないか、とも思えるのです。
なんてったって・・・・《悲愴》ですから・・・!!
つづく
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どんな曰くかというと、
作曲者による冒頭の「fp」の指示が、弾くものをなんとも戸惑わせます。
なぜなら、
ピアノという楽器は構造上、一度音を鳴らしてしまうと
その後の鍵盤上での音量のコントロールは、基本的には不可能となります。
よって、この冒頭の和音を「f」で力強く鳴らした後に
「p」に落とすことは、物理的には基本的に不可能といえます。
……………………………………………………………
☆ベートーヴェンは時に、ピアノという楽器では演奏不可能な
指示を楽譜に書き記すことがあります。
例えば、長い和音の持続に「<(クレッシェンド)」を指示してみたり。
これは先に書いたピアノの構造上、物理的には不可能といえますが、
音楽の「内的なクレッシェンド」「内的な向上」と考えると、
こういう部分の納得がいったりするものです。
ベートーヴェンほどの大作曲は、まず、無駄な、必要のないことを
楽譜には書き記していないはずです。
☆2
ついでといってはなんですが、
ピアノの詩人といわれるショパンでも、こういった物理的演奏不可能な
指示を書き記しています。後期の《ノクターン16番 op.55-2》の
最後の和音がそれです。
……………………………………………………………
しかし、裏技を使いますと、
実際の音としてこの「fp」を実現可能にする手段が無くもありません!
ご紹介いたしますと、
①ペダルと共に和音を「f」で力強く弾き、
②ペダルで音を残しながら、一旦鍵盤から手を離し、すぐさま
③再び音が鳴らないように、同じ鍵盤を押さえ直し、
④そして、ペダルを離す
という方法です(全動作時間約1秒間)。
(この技は、世界的ピアニストのAndras Schiffが実際に使って
いたのを、彼のコンサートで目撃しています。さらには、彼の
レッスンを聴講したとき、《悲愴》ではないのですが、似てるような
箇所でこの技を勧めていたようにも記憶しています)
これが成功しますと、「f」で鳴らされた和音が、鍵盤を押さえ直し
ペダルを離した時点で、一段階音量が落ちたような感じになり、
「fp」が実現した、と聴こえなくもありません。
そして一番大事なことは、物理的な音の強弱ということのみでなく、
●演奏者の内的なダイナミクスの急激な減衰として
この「fp」を捉えることで、音楽的なこの箇所の在り方が
いよいよ意味を成してくるのではないか、とも思えるのです。
なんてったって・・・・《悲愴》ですから・・・!!
つづく