音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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◆ショパン《幻想ポロネーズ》=ベートーヴェン(《op.110》+《op.111》)÷2

2006年11月13日 | 《32番op.111》
ベートーヴェン最後の《ソナタ32番op.111》II楽章“Arietta”と
ショパン《幻想ポロネーズop.61》のアイディアの相似について
先日に書きました。

では、
この記事の題名にもあるベートーヴェン最後から二番目のソナタ
《ソナタ31番op.110》の影響は、《幻想ポロネーズ》のどこに見られるのでしょう?


今の自分が思うに、両者の曲の終わり方に、
似たようなアイディアを望むことができるような気がするのです。
(もちろん、ショパンがベートーヴェンの音楽からアイディアなり
インスピレーションを受けたと考えるのが正しいでしょう)


ベートーヴェン《op.110》の終楽章は、後期ベートーヴェンの
作品を紐解くのに重要なキーワードでもある「フーガ」です。
「嘆きの歌Klagender Gesang」と「フーガ」が交代し、
最後の「フーガ(反行フーガに始まる)」となって、
音楽は突如速度を増して、ついにクライマックスへといたります。

ピアノ独奏曲における「最高のカタルシス」のひとつを
この音楽に見出すことができるでしょう。

「天馬が翔けのぼるような、もっと高く、もっと高く!!」
それが、今の自分のイメージです(以前にも書いたこと
あったかもしれません)。


さて、
ショパンの《幻想ポロネーズ》はといいますと・・・
やはり、
駆け上がっていくような音楽なのですね~!!

紆余曲折を経た長い生死の物語は、
再現部、冒頭テーマに神の世界を目前に見たなお、
寂しく孤独な歌をうたい、さらには只事ならぬせわしなく
不安を駆り立てられるようなざわめきがやってきます。
ざわめきが頂点に達すると、音楽は突如方向性を変え、
底のほうから沸きあがるようなユニゾンの音の流れが高まり、
ついに、曲の最後に向けて走り出します、第Iテーマを
高々と歌いながら!!


◇◆◇◆


・・・・《幻想ポロネーズ》の終わりは、
この心躍るCoda(終結部)に始まり、駆け回る音の光たちは
徐々に勢いをゆるめ、静かに・・・まるで到着するかのように
音楽の終わりへと至ります(最後にもう一度「光」が
照らされるのですが!)。


ベートーヴェン《op.110》においては、
駆け始めた天馬は、行き着くところを知らず、
走り続けるようで、その点、《幻想ポロネーズ》との
違いがあるのかもしれません。


◇◆◇◆


以前からこのショパン後期の作《幻想ポロネーズ》に、
後期ベートーヴェンの影響が見られることを書いてきていますが、
そうしたアイディアのきっかけの発端となっていますのは、
(これも以前紹介したことがあります)ショパンの友人であり、
芸術家としての最大の理解者の一人でもあるドラクロワの証言
「ショパンはわたしのためにベートーヴェンを神々しく
ひいてくれました。美学についてのどんなおしゃべりより、
この方がずっとすばらしいです」
が自分の中で糸を引いているからのようです。

同時代人の、その作曲家と直に交わい言葉を交わし、
時間を過ごした人々の言葉というものは、非常に意味の大きい
事柄のような気がいたします。

彼らはその時を生きていた人間であること、今現在を生きている
我々と変わらぬ人間であることを、これらの証言を
ファンタジーを持って受け入れることによって、彼らを
より身近に感じることのできようになるのかもしれません。

時代と場所を飛び越えた人間関係、
西洋クラシック音楽の大きな「面白」は、
このようなところにもあるような気もするのです。
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