クラシック音楽において、、曲が始まるその調性で終わりが収まるという基本は、自分の家から出て、紆余曲折を経て!?最後にはまた無事に家に帰る、という物語りと言えましょうか。
そう考えると、曲の始まりの調ではない調で音楽が終わってしまった場合は、自分の家に帰るのではなく、違う家に戻って帰ったことにしてしまうということになる?これ不法侵入!?引っ越し!?帰宅困難!?いずれにしろ、それは普通には帰れなかった音楽の物語りとなりましょうか?
曲の始まりの調が不明瞭な音楽もあります。ベートーヴェン以降、ロマン派では少なからずそういう音楽があります。それは、始まりが自分の家なのかどうか、分からない、「ここはどこ!?私は誰!?」という物語りの始まりと思うと面白く、合点がいくでしょうか?
こう考えながら今は、ショパンの《葬送ソナタ》や、ベートーヴェンの《交響曲1番》の冒頭が思い出され、頭の中で流れてきています。
ショパン《スケルツォ2番》なぞは、あい変わらず「何調の音楽」なのか、考えあぐねてしまいます・・・《葬送ソナタ》と同じ「変ロ短調」なのか、あるいは「変ニ長調」のVI.ととらえられるのか・・・曲の終わりは明らかに!「変ニ長調」で、凱歌の如く音楽は響き渡るのですが!