音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

♪クラシック音楽の伝統を受け継ぐ真の音楽芸術家を目指して活動しています♪ 「YouTubeクラシック音楽道場」も更新中♪

9月24日(火)のつぶやき

2013年09月25日 | ◆一言◆

クラシック音楽において、、曲が始まるその調性で終わりが収まるという基本は、自分の家から出て、紆余曲折を経て!?最後にはまた無事に家に帰る、という物語りと言えましょうか。


そう考えると、曲の始まりの調ではない調で音楽が終わってしまった場合は、自分の家に帰るのではなく、違う家に戻って帰ったことにしてしまうということになる?これ不法侵入!?引っ越し!?帰宅困難!?いずれにしろ、それは普通には帰れなかった音楽の物語りとなりましょうか?


曲の始まりの調が不明瞭な音楽もあります。ベートーヴェン以降、ロマン派では少なからずそういう音楽があります。それは、始まりが自分の家なのかどうか、分からない、「ここはどこ!?私は誰!?」という物語りの始まりと思うと面白く、合点がいくでしょうか?


こう考えながら今は、ショパンの《葬送ソナタ》や、ベートーヴェンの《交響曲1番》の冒頭が思い出され、頭の中で流れてきています。


ショパン《スケルツォ2番》なぞは、あい変わらず「何調の音楽」なのか、考えあぐねてしまいます・・・《葬送ソナタ》と同じ「変ロ短調」なのか、あるいは「変ニ長調」のVI.ととらえられるのか・・・曲の終わりは明らかに!「変ニ長調」で、凱歌の如く音楽は響き渡るのですが!


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 9月17日(火)のつぶやき | トップ | 10月2日(水)のつぶやき »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。