ベートーヴェン
《ハンマークラヴィア・ソナタ op.106》3楽章について、
日記の下書きをしながら・・・あまりにも書きたいことが多く、
日記を読まれる方が
方向性を見失ってしまわれるのではないかと懸念し・・・、
思い切って、この楽章の真相を(今の私の思う限りでの真相を)
一度書いてみようと思います。
乱暴な書き方かも知れませんが、ご容赦ください。
この音楽は、死を望んだ人間の物語だと考えてみてください。
もう生きていられない、死んだほうがましだ、
早く、早く天国へ連れて行ってくれ・・・!!
と言わんばかりの・・・
その人は神と会話(Dialog)します(第2テーマ)。
「神を信じるのか」と問われているような・・・・あるいは、
「本当に死んでよいのか」と問われているのかも・・・・
そして、
あちらの世界を垣間見る。三途の川原でしょうか。その向こうには、
美しい天界と、その対象である地獄までもが姿を現すようです。
そして、天の世界に、ようやく足を踏み入れた・・・・!!
●展開部~再現部
しかし、神はやはり地上へ帰るよう言い渡します。
天へ留まることを許されたその喜びを表現することは、
そこに留まる資格に値しないものだったのです。
天国では、騒いではいけないのです(廊下は静かに歩きましょう・・・みたいな!?)
心乱さず死を悟ることができるようにならなければ、
そこに留まることは許されない・・・
・・・死なせてはくれない・・・・
再び嘆き(あまりにも美しく切ないVariantを伴って)・・・
足取り重く、力なく、遅く・・・遅く(6小節にわたる長い「ri....tar....dan......do」はベートーヴェンの指示)
地上に戻り・・・ふと、この地上の美しさに触れる・・・
希望が芽生えるようでもある(D-Durの踊り)、しかし
それでも真の慰めとはならなず、生きる望みはやはり無い・・・
激しく、死を望む!!!(ベートーヴェン自身による
「con grand’espressione」の指示)
そして、
神は再び姿を現す(再現部第2テーマ Fis-Dur)。
天へと、今一度昇ることが許されるようです。
●Coda(終結部)
・・・人は、やはり愚かなのでしょうか。
人は、同じ過ちを二度、犯してしまいました。
神が再び現れ、地上へ帰るよう言い渡します。
・・・いやだ・・・いやだ!!!
私は天に・・・・・・・・!!!!!!!!
(Ich will zur Himmel!!!!!)
・・・師匠がレッスンでこう叫びました・・・。きっと、
僕にとって一生忘れられないレッスンです。
そして、人は歩き出します。この地上を・・・ある覚悟を持って。
それは、生きる覚悟・・・その時!!
啓けるのです、
何かが、静かに(あまりにも静かすぎて分からないほど、それが第180小節と考えています)。
最後に現れる嘆きのコラールは、もう強いものではありません「una corda」そして書いてはないけれど、このコラール初めて「pp」で。
生きることを覚悟した者にとって、嘆きは過去のものと
なったのかもしれません。
静かな・・・生きようという・・・決心を持って・・・。