音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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B.《ピアノソナタ第29番op.106“ハンマークラヴィア”》3楽章、冒頭・・・嘆きのコラール!?

2006年04月25日 | 《29番op.106》ハンマークラ
「Una corda mezza voce」で歌われる、この《ハンマークラヴィア》
3楽章の冒頭は、複数声部からなるコラールのように思われます。
「熱情と感傷」、そして「響き」をともなって(これは前日の
日記に書きました)、しかしそれは
「Una corda(弱音ペダル)」を使うことによって、
明るさを遮られ、どちらかというと・・・暗い・・・音色となって
うたわれることが望まれているのでしょうか。

何がうたわれるのか・・・・?
ソナタ形式からなる、この長い長い3楽章(遅いテンポの演奏だと、
演奏時間が20分を超えることもあります・・・)の物語は・・・


・・・人生に疲れきった人間の嘆き・・・

            ・・・・のように私には思われます・・・

これは、当時のベートーヴェンの生活周辺、歴史背景と
照らし合わせても、当てはまることのようです。金銭的にも
不安定な生活で、一方では貴族社会が再び力を取り戻そうと
している(ウィーン会議)・・・・それはすなわち、
ベートーヴェンが理想とした民主主義の敗北であり、
それが精神的敗北感となって、暗い影が心を支配する・・・
そんな時期のベートーヴェンが
この《ハンマークラヴィア》を書いていた、このような
裏づけがあることは、この長大な3楽章に我々が一歩
近づくことができる手助けとなってくれるかもしれません。

そしてこれは、ベートーヴェンの個人的な悲愴を
うたっているに留まらないと考えたい。普遍的な、
人間皆に共通する「生きる辛さ」を音楽にした・・・
そういう意味で、我々全ての人間にとっての
人生の辛い一面を鏡となって映しだしてくれる音楽、
そこに深い感動が(感動ということが許されるのであれば・・・)
生まれるのだと思います・・・

この楽章の旅は果てしなく長く、いくつもの山を越えていくようです。
苦しみは、強くなり、昇華し、救われ、しかしまた・・・
この音楽の終わりには、一体どんな結末が待っているのでしょう・・・



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