クラシック音楽について、
見事に言い表している文章を見付けました。
書き手は丸山眞男氏、
20世紀の日本を代表する知識人の一人とのこと、
恥ずかしながら、自分はこの方のことを
知らなかったのですが、この度この方の文章を目にして、
この人が本当にすごい人であることが、
分かるような気がしました。
ここには、
クラシック音楽を理解し・把握し・愉しむための
たくさんのヒントが隠されているような気がしてならず、
是非とも皆様にご紹介したいと思うのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「たとえば『怒り』の感情を表現しようとする場合、
拳骨でピアノの鍵盤を叩きまくったり、
弓をわし掴みにしてヴァイオリンの弦をギシギシ擦ってみても、
それでは音楽にならない。
最初の瞬間だけは聴衆に衝撃を与えるかもしれないけれど、
繰り返した場合、説得力がありません。
逃げられたり、拒否されてしまうのがオチです。
聴き手が納得するのは、聴き手の側が自明のこととしてもっている
ルールに従って音楽が作られ、演奏された場合ですから。
調性とかソナタとかロンドとかいう音楽形式は、
長い歳月をかけて、自然に、いわば必然的に出来上がったものです。
歴史的必然性と合理性を内包していると言っていいかもしれない。
十二音技法みたいな20世紀になってからの産物は、文字通り『人工物』だけれど、
われわれが慣れ親しんできた音楽作りの技法は『自然の産物』です。
自然に生まれ、歴史のなかで成熟してきた技法を
後世の人が整理したのが『音楽理論』なんです。
『形式(フォルム)』っていうと、いかにも人工的な、
堅苦しいものを想像して身構えてしまうけれど、そうじゃない。
そこを正確に理解していないと、本当に音楽は分からない」
(中野雄著『丸山眞男 音楽の対話』より)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●拳骨で鍵盤を叩きまくっても音楽にはならない、
●調性とかソナタとかロンドとかいう音楽形式は
長い歳月をかけて自然に、必然的に出来上がり、成熟したものであるとのこと、
●『形式(フォルム)』は人工的な堅苦しいものではないとのこと、
などなど・・・
いやはや・・・
「音楽理論」と「音楽的感受性」の間を時に揺れ動いていた今の自分には、
とっても有り難い言葉に思われたのでした。
「理論」として整理されたものを、
「感性」を通して有機的に(自然に)音楽として鳴り響くことができるよう、
「技術」をもって演奏してゆくことができるのであれば、
これ理想的な音楽となるのではないか!?なぞと
常日頃思いをめぐらせております。
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この記事に関するコメントやご連絡等ございましたら、
以下のアドレスまでメッセージをお送り下さい。
PianistSegawaGen@aol.com
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この人が本当にすごい人であることが、
分かるような気がしました。
ここには、
クラシック音楽を理解し・把握し・愉しむための
たくさんのヒントが隠されているような気がしてならず、
是非とも皆様にご紹介したいと思うのです。
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「たとえば『怒り』の感情を表現しようとする場合、
拳骨でピアノの鍵盤を叩きまくったり、
弓をわし掴みにしてヴァイオリンの弦をギシギシ擦ってみても、
それでは音楽にならない。
最初の瞬間だけは聴衆に衝撃を与えるかもしれないけれど、
繰り返した場合、説得力がありません。
逃げられたり、拒否されてしまうのがオチです。
聴き手が納得するのは、聴き手の側が自明のこととしてもっている
ルールに従って音楽が作られ、演奏された場合ですから。
調性とかソナタとかロンドとかいう音楽形式は、
長い歳月をかけて、自然に、いわば必然的に出来上がったものです。
歴史的必然性と合理性を内包していると言っていいかもしれない。
十二音技法みたいな20世紀になってからの産物は、文字通り『人工物』だけれど、
われわれが慣れ親しんできた音楽作りの技法は『自然の産物』です。
自然に生まれ、歴史のなかで成熟してきた技法を
後世の人が整理したのが『音楽理論』なんです。
『形式(フォルム)』っていうと、いかにも人工的な、
堅苦しいものを想像して身構えてしまうけれど、そうじゃない。
そこを正確に理解していないと、本当に音楽は分からない」
(中野雄著『丸山眞男 音楽の対話』より)
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●拳骨で鍵盤を叩きまくっても音楽にはならない、
●調性とかソナタとかロンドとかいう音楽形式は
長い歳月をかけて自然に、必然的に出来上がり、成熟したものであるとのこと、
●『形式(フォルム)』は人工的な堅苦しいものではないとのこと、
などなど・・・
いやはや・・・
「音楽理論」と「音楽的感受性」の間を時に揺れ動いていた今の自分には、
とっても有り難い言葉に思われたのでした。
「理論」として整理されたものを、
「感性」を通して有機的に(自然に)音楽として鳴り響くことができるよう、
「技術」をもって演奏してゆくことができるのであれば、
これ理想的な音楽となるのではないか!?なぞと
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