最近の僕はちょっと「丸山眞男」に
はまっているのかもしれません。
これが一過性のものでなく、
この大きな人の言葉が
しっかりと自身の肥やしとなって
生き続けてくれるとよいのですが・・・
前回に引き続き、またまた
面白い文章がありますので、
ご紹介させていただきたく思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ヨーロッパのクラシック音楽は、
少なくとも数百年に及ぶ生命力をもった芸術です。
そして、
生命力の根源は『調性(トナリティー)』
―――調性の発見だと思う。
調性を抜きにしてソナタ形式は考えられないし、
交響曲とか室内楽曲とかいう音楽のジャンルも考えられない。
地球上の音楽で、調性が確立しているのは
ヨーロッパのクラシック音楽だけです。
だからその他の地域の音楽には
ソナタもないし交響曲もない。
『音楽形式』として成立できない。
『調性』が心臓部みたいなもんで、
それを音楽のキーワードに据えたからこそ
ヨーロッパの音楽は今日の盛況を迎えたわけです。
西欧諸国の政治的・経済的覇権(ヘゲモニー)が主因だと言う人もいますが、
音楽に内在する生命力を見落とした議論です。
だから、調性の扱い方に焦点を絞って追っていっただけでも、
いろんなことが分かりますよ。
(中野雄著『丸山眞男 音楽の対話』より)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いろんなことが分かるらしいです。
『調性(トナリティー)』
例えば、調性の持つ性格というものがありまして、それは
●変ホ長調Es-Durは英雄的な雰囲気(ベートーヴェンの
《交響曲3番“英雄”》がその代表格といえましょうか)、
●ハ短調c-mollの力強く悲劇的な予感(ベートーヴェン
《交響曲5番“運命”》や《ピアノソナタ“悲愴”》そして
最後の《ピアノソナタ第32番》、モーツァルトにもこの調性の
《ピアノソナタ K.457》などがあります)
●ニ短調d-mollの持つ、また異なる悲劇性(ベートーヴェン
《交響曲9番》や《ピアノソナタ“テンペスト”》、モーツァルトにもこの調性の
《交響曲》や《ピアノ協奏曲》があります)
などなど・・・挙げればきりがありません。
さらには、クラシック音楽においては
ひとつの調性を主調としながら、
音楽は「転調」を繰り返し、さまざまな調性へと変遷してゆきます。
これが、前回の記事でもご紹介いたしました『形式(フォルム)』との
大きな関連性を持っているものでもあります。
西洋クラシック音楽を愉しむコツのひとつとして、
この『調性』というキーワードは、
大きな位置を占めるものなのかもしれません。
P.S.
今、ふと思ったのですが、
この『調性』を愉しむにあたっての必要な能力として、
世間でしきりに騒がれている「絶対音感」という能力は、
少なからず意味あるものとなるような気が、今、初めてしました。
絶対音感を持っていて、なおかつ、
その音楽の有している調性に対する感性を受け止め・愉しめる感性が
養われているのであれば、こんなにも
深く・実直にクラシック音楽を愉しめる方法はないのでは、
と思われるのです。
とはいえ、
絶対音感が無いからといって、
音楽を愉しむことができないということは
決してないと思います。
音楽の愉しみ方は色々あります。
「絶対音感」があることは、あくまでも
音楽を愉しむにあたっての「ひとつの要素」である
という程度に、捉えておくのが無難なのかもしれません。
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この記事に関するコメントやご連絡等ございましたら、
以下のアドレスまでメッセージをお送り下さい。
PianistSegawaGen@aol.com
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これが一過性のものでなく、
この大きな人の言葉が
しっかりと自身の肥やしとなって
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面白い文章がありますので、
ご紹介させていただきたく思います。
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ヨーロッパのクラシック音楽は、
少なくとも数百年に及ぶ生命力をもった芸術です。
そして、
生命力の根源は『調性(トナリティー)』
―――調性の発見だと思う。
調性を抜きにしてソナタ形式は考えられないし、
交響曲とか室内楽曲とかいう音楽のジャンルも考えられない。
地球上の音楽で、調性が確立しているのは
ヨーロッパのクラシック音楽だけです。
だからその他の地域の音楽には
ソナタもないし交響曲もない。
『音楽形式』として成立できない。
『調性』が心臓部みたいなもんで、
それを音楽のキーワードに据えたからこそ
ヨーロッパの音楽は今日の盛況を迎えたわけです。
西欧諸国の政治的・経済的覇権(ヘゲモニー)が主因だと言う人もいますが、
音楽に内在する生命力を見落とした議論です。
だから、調性の扱い方に焦点を絞って追っていっただけでも、
いろんなことが分かりますよ。
(中野雄著『丸山眞男 音楽の対話』より)
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いろんなことが分かるらしいです。
『調性(トナリティー)』
例えば、調性の持つ性格というものがありまして、それは
●変ホ長調Es-Durは英雄的な雰囲気(ベートーヴェンの
《交響曲3番“英雄”》がその代表格といえましょうか)、
●ハ短調c-mollの力強く悲劇的な予感(ベートーヴェン
《交響曲5番“運命”》や《ピアノソナタ“悲愴”》そして
最後の《ピアノソナタ第32番》、モーツァルトにもこの調性の
《ピアノソナタ K.457》などがあります)
●ニ短調d-mollの持つ、また異なる悲劇性(ベートーヴェン
《交響曲9番》や《ピアノソナタ“テンペスト”》、モーツァルトにもこの調性の
《交響曲》や《ピアノ協奏曲》があります)
などなど・・・挙げればきりがありません。
さらには、クラシック音楽においては
ひとつの調性を主調としながら、
音楽は「転調」を繰り返し、さまざまな調性へと変遷してゆきます。
これが、前回の記事でもご紹介いたしました『形式(フォルム)』との
大きな関連性を持っているものでもあります。
西洋クラシック音楽を愉しむコツのひとつとして、
この『調性』というキーワードは、
大きな位置を占めるものなのかもしれません。
P.S.
今、ふと思ったのですが、
この『調性』を愉しむにあたっての必要な能力として、
世間でしきりに騒がれている「絶対音感」という能力は、
少なからず意味あるものとなるような気が、今、初めてしました。
絶対音感を持っていて、なおかつ、
その音楽の有している調性に対する感性を受け止め・愉しめる感性が
養われているのであれば、こんなにも
深く・実直にクラシック音楽を愉しめる方法はないのでは、
と思われるのです。
とはいえ、
絶対音感が無いからといって、
音楽を愉しむことができないということは
決してないと思います。
音楽の愉しみ方は色々あります。
「絶対音感」があることは、あくまでも
音楽を愉しむにあたっての「ひとつの要素」である
という程度に、捉えておくのが無難なのかもしれません。
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