音楽の途中に、長い休符があることがあります。
残念ながら多くの演奏の場合、休符が充分に長くなく、先走って次の音に入ってしまうことが多いように思われます。
その気持ちは、みんな良く分かるところだとも思います・・・だって、じっと音もなく待っているのって結構怖いものです!
でも、それは決して望ましいことではない、なぜなら休符も含めて音楽は「拍感」を持って流れており、休符の長さが充分でないと、それが崩れて、不格好な音楽となってしまうのではないでしょうか。
それにしても、
長い休符、音を出さずにいるのは、実に大変な集中力・エネルギーを要することなのではないだろうか、と
しみじみ思いまわれます。
そこで、
長い休符をしっかり伸ばすには「勇気」も必要なのかな!?
なぞと、ふと思いました。
その勇気が、その音楽が望む拍感あってこそのものという深い理解の上に成り立っているならば、それは強がりなどではない、真の勇気として、恐ろしい舞台の上でも成功できる鍵となるのかもしれません。
♪
残念ながら多くの演奏の場合、休符が充分に長くなく、先走って次の音に入ってしまうことが多いように思われます。
その気持ちは、みんな良く分かるところだとも思います・・・だって、じっと音もなく待っているのって結構怖いものです!
でも、それは決して望ましいことではない、なぜなら休符も含めて音楽は「拍感」を持って流れており、休符の長さが充分でないと、それが崩れて、不格好な音楽となってしまうのではないでしょうか。
それにしても、
長い休符、音を出さずにいるのは、実に大変な集中力・エネルギーを要することなのではないだろうか、と
しみじみ思いまわれます。
そこで、
長い休符をしっかり伸ばすには「勇気」も必要なのかな!?
なぞと、ふと思いました。
その勇気が、その音楽が望む拍感あってこそのものという深い理解の上に成り立っているならば、それは強がりなどではない、真の勇気として、恐ろしい舞台の上でも成功できる鍵となるのかもしれません。
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