最近、音楽しながら思うことがあります。我々が音楽を聴いているのは、やっぱり多分、ただ音を聴いているだけではない気がして仕方がありません。
音を通して我々に届いてくる「気」なのではないだろうか・・・?
作曲家の、演奏者の、あるいは音楽そのものの「気」が、会場にいる人々に伝わっているのではないかしらと。
だから、昨夜の内田光子さんの、あの澄みきったホール中に響き渡る音は、彼女の「気」だったのではないかしらと。
もちろん、それが実現するためには、多大な努力と忍耐を通した技術と知性、感性の修練の賜物であることは間違いないでしょうが。
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音を通して我々に届いてくる「気」なのではないだろうか・・・?
作曲家の、演奏者の、あるいは音楽そのものの「気」が、会場にいる人々に伝わっているのではないかしらと。
だから、昨夜の内田光子さんの、あの澄みきったホール中に響き渡る音は、彼女の「気」だったのではないかしらと。
もちろん、それが実現するためには、多大な努力と忍耐を通した技術と知性、感性の修練の賜物であることは間違いないでしょうが。
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