極論かもしれません。
でも、強い手応えを感じているのも事実なのです。
それは、
「音楽性」と呼ばれるものが、
演奏者の「上半身の動き」で決まる、
という一つの結論に達しそうなのです。
動けばいい、というのではありません。
そうではなくて、
「動き」が「音楽」を目的として、
それにかなっている時、
真に充実した「音楽」の実現となって
成功するように思えるのです。
ここには、
能の大家・世阿弥のいう
「音曲・はたらき、一心になるべし」
という言葉とのつながりを見い出すことも出来るように思われます。
(世阿弥著『風姿花伝』「第三 問答条々」より)
♪
でも、強い手応えを感じているのも事実なのです。
それは、
「音楽性」と呼ばれるものが、
演奏者の「上半身の動き」で決まる、
という一つの結論に達しそうなのです。
動けばいい、というのではありません。
そうではなくて、
「動き」が「音楽」を目的として、
それにかなっている時、
真に充実した「音楽」の実現となって
成功するように思えるのです。
ここには、
能の大家・世阿弥のいう
「音曲・はたらき、一心になるべし」
という言葉とのつながりを見い出すことも出来るように思われます。
(世阿弥著『風姿花伝』「第三 問答条々」より)
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