音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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■美しいピアノ音の生まれるしくみ ~ W.ギーゼキング著『ピアノとともに』より

2011年10月25日 | 音楽(一般)
ヴァルター.ギーゼキング著『ピアノとともに』白水社より抜粋


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美しいピアノ音の生まれるしくみを解明しつくすことはできない。
おもしろいことに、多少の差はあれ、
強く突然に槌(ハンマー)と弦とを接触させた場合にひき起こされる結果は、
じつに種々さまざまなのである。

ことに数人のすぐれたピアニストが
同じ部屋の同じ楽器をひくのを聞く機会でもあれば、
興味深い結果が得られるだろう。

同様に、技術的に未熟な演奏者、たとえば
素人の愛好家がしばしばすばらしく美しい音を出す一方で、
あきれるほどの技倆をもつ名手のなかに、
ぶざまな固い音でひく人があるという事実も、
注意してよい。

つまりわたしは、
なんらかのとくべつな指や手の運び方に、
美しい音が出る原因をさがそうとするのはむだなことだ
と思うのである。


わたしの確信によれば、
響きの美しい演奏法習得の唯一の道は、
聴覚の体系的な訓練である。

耳による持続的な自己制御と自己批判は、
必然的に演奏者の神経をいわば《敏感》にし、その結果、
太鼓をたたくような荒っぽいひき方をすることに抵抗感をおぼえるようになり、
この心のなかの抵抗感が治癒的に教育的にはたらくさまが
やがてまざまざと感じとれるようになる。

この神経の抵抗と刺激が
タッチに効果的に影響しうるのは、
むろん、演奏の仕方全体が可能なかぎりの筋肉の弛緩、つまり
ほどけた状態に適応している場合のみである。

不必要に緊張した筋肉は、
心のなかに思い浮かべた音をタッチに移そうとする際の
妨げとなるのである。


~~中略~~


わたしは確信しているが、
技倆がこれほど安定したものになるには、
何時間も指の練習を
(それも場合によっては音の出ない模型の鍵盤で!)
そればそれでいい、というものではない。
そんなことをしていては、
病気になるのがおちだとわたしは思う。

そうではなくて、
ただひたすら耳を制御の道具たらしめるべく鍛えて、
練習の際のどんなにわずかな不均質も、過失も、
たちまち気づくことのできるようにすることこそ、
肝要なのである。

耳こそが
音楽をする場合の
最重要の器官である。

そして指によってではなく、頭のなかで、
技術的能力は陶冶されるべきなのである。

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良い音を出せるようになるためには、
なによりも「耳」とのこと。

そして「耳=頭(考えること・感じること)」
なのではないだろうか、と私は思うのですが。

楽器を習う者なら
当たり前すぎるようなこの指摘なのですが、
その当たり前に、大いなる一理があるように、ふと、強く感じ、
20世紀最大のピアニストの一人とも言われる
ヴァルター・ギーゼキング氏のこの文章を、
ご紹介させていただきたく思いました。













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