クラシック音楽における作曲家達の多くの晩年の作品には、彼らの死生観が表現されているものが少なからずあると、今日もショパン最後の《ノクターン》を勉強しながら思いました。来世に思いを馳せる・・・それを「メメント・モリ」と言われるのを、最近また思い出しました。
作曲家の没年齢は色々・・・最も早く亡くなってしまったのはシューベルトで31歳、ショパンは39歳、ベートーヴェンは56歳(当時としてはまぁちゃんと長生き?)、シューマンは45歳、ブラームスは63歳、ドビュッシーは56歳・・・挙げた彼ら皆の晩年の作品に私は彼らの死生観を確認しています
そして思いますのは、彼らの晩年の作品に現れる死生観は、彼らの亡くなる年齢に即しているのではないか、と。例えばシューベルトの31歳は、やはり若すぎます!だから、まだ死にたくない気持ちが強く感じられる気がする・・・(それを超越・達観するような作品もあるのですが)
例えばブラームスでは、晩年ではなく中期の作品《ドイツレクイエム》にて、ソプラノ独唱(亡き母を偲んで!?)に「私は労苦から解放された、今は平安を手に入れた」と歌わせるのです・・・!そんなブラームスの晩年の作品からは、若くして亡くなってしまったシューベルトよりも、年齢を重ねたがゆえに死への覚悟が出来ているよう感じられるのです
生前の苦難も人一倍!?のベートーヴェンの晩年からは、むしろ来世を期待する!?かのような音楽が思われもします。ベートーヴェンが生涯大切に手元に置いていた『不滅の恋人への手紙』には「天の殿堂で一緒に!!」と彼女に向けて確かに書かれているのです・・・!だから晩年は希望に満ちて・・・!?「天の殿堂」を夢見て!?
最近勉強中のドビュッシーの晩年では「海」がキーワードと思われました。海(大西洋)で書かれた晩年の作品群『練習曲集』や『チェロソナタ』には、海を描写するかのようなアルペジオに、天の声!?を織り交ぜているよう思える箇所が少なからずあります・・・この世のものではないように聴こえる声が・・・
・・・来世に思いを馳せる、メメント・モリ・・・クラシック音楽をやっていると、少なからずこういう作品に向かい合わざるをえないのだと思います。しかしこれは現世を諦めてしまうような消極的なものではなく、これを糧に、せめて今は一生懸命に生きよう!という積極的な力に還元できたら!と思います。