勉強・研究の過程において「完璧・完全を目指す!?」という思いになることもありました。しかしその上で、やはり「完璧」に疑問を持つに至っているのが今の心境です。「芸術に完璧はない」というもっともらしい言葉は、安易には言えません!これは真剣な問題だと思います。
「完璧」に疑問・違和感を持ってずっと生きてきて、最近ようやく「洗練」という言葉に廻り合い、今のところ、わりと気に入って使っています。「完璧が無理なら、出来る限りの洗練を目指す」と!
「自分で<うまくいった>と思ったらそれ以上の成長はない」・・・とは、簡単には言えない気がしてきました。うまくいった真実は真実としてちゃんと受け止め(イチロー選手曰く「満足」し!?)、それを糧に次に向かう。これは健全な成長の道なのではないだろうか!?
「完璧は無理」という真実を知っている上で、それでも「完璧を目指す」のか、あるいは完璧は目指さず「洗練」に打ち込む・・・!? あれ・・・これは逃げ!? 「無理を承知で完璧を目指す」、これもまた道!?
「洗練しよう」とするには、目標が必要・・・ 目標無くして洗練は出来ない!? すると目標は、やはり「完璧」!? でも完璧は無理だから、現世の我々に出来るのは「洗練させる」という事実・・・
とはいえ「完璧」という言葉に「おしまい」のニュアンスが感じられたのが前回の考察・・・ これを避けるなら外国語の「パーフェクト」はどうだろう?この言葉に「おしまい」の意味が無いなら、これを使い、これを目指すならば、大丈夫!?