私のドイツ留学が終わってから、
もう数年が経ちましたが・・・
今なお、師匠クラウス・シルデ先生の声が、
ピアノを弾く際など、
音楽を通して聞こえてきたりするのです。
すると、ふと今さら思い付くことは、
先生はレッスン中、
生徒の演奏を指導しながら、
それが成功し、とても上手に、美しく音楽が奏でられた際に、
「Ja~~~!!(そうだ~~!!)」
と、嬉しさをあらわに
喜んで下さることがありました。
この記憶!!
今一人となって、
練習しながら・音楽を創りながらの際、
この先生の声・その表情が思い出されると、
なんとも弾き手として、勇気が得られるような気になるのです。
もちろん、先生は闇雲に誉めてばかりではありません。
「良い時」にしか「良い」とはおっしゃいません。
(ちなみに蛇足ですが、決して私一人が「良い」と言われていたわけでは毛頭なく、
どの生徒も、「良い」時には「良い」と先生はおっしゃられています。
聴講していればその事実はすぐに分かります。
ゆえに、この「誉め」は、
皆平等、人に関係なく、普遍的なレヴェルの話、と考えたいものです)
だからこそ、
その「良い」と誉められた記憶を頼りに、
今、一人、楽器や楽譜に向かってを練習する際(あるいは本番の最中だっていいかもしれない!?)、
「良い」と言ってもらった音楽性を応用し、
それをひとつの礎(いしずえ)として精進してゆくことは、
まるで、
暗中模索の芸術の道に、一筋の光が当たるかのような
貴重な「道標(みちしるべ)」となるのかもしれません。
本当に「良い」時には「良い」と言う。
これが本当の「誉め上手」で、
これは人の「成長」を促す大事な要素なのかもしれない、
なぞとも思ったのでした。
P.S.
予定ではシルデ先生は今年末、
関西にて講習会・講座を行われ、
私はそれに立ち会う予定でおります。
先生とご一緒で仕事ができることは、
本当に嬉しく、楽しみです!!
とはいえ、
浮かれてばかりでなく、しっかり勉強しなきゃ・・・(爆)
♪
もう数年が経ちましたが・・・
今なお、師匠クラウス・シルデ先生の声が、
ピアノを弾く際など、
音楽を通して聞こえてきたりするのです。
すると、ふと今さら思い付くことは、
先生はレッスン中、
生徒の演奏を指導しながら、
それが成功し、とても上手に、美しく音楽が奏でられた際に、
「Ja~~~!!(そうだ~~!!)」
と、嬉しさをあらわに
喜んで下さることがありました。
この記憶!!
今一人となって、
練習しながら・音楽を創りながらの際、
この先生の声・その表情が思い出されると、
なんとも弾き手として、勇気が得られるような気になるのです。
もちろん、先生は闇雲に誉めてばかりではありません。
「良い時」にしか「良い」とはおっしゃいません。
(ちなみに蛇足ですが、決して私一人が「良い」と言われていたわけでは毛頭なく、
どの生徒も、「良い」時には「良い」と先生はおっしゃられています。
聴講していればその事実はすぐに分かります。
ゆえに、この「誉め」は、
皆平等、人に関係なく、普遍的なレヴェルの話、と考えたいものです)
だからこそ、
その「良い」と誉められた記憶を頼りに、
今、一人、楽器や楽譜に向かってを練習する際(あるいは本番の最中だっていいかもしれない!?)、
「良い」と言ってもらった音楽性を応用し、
それをひとつの礎(いしずえ)として精進してゆくことは、
まるで、
暗中模索の芸術の道に、一筋の光が当たるかのような
貴重な「道標(みちしるべ)」となるのかもしれません。
本当に「良い」時には「良い」と言う。
これが本当の「誉め上手」で、
これは人の「成長」を促す大事な要素なのかもしれない、
なぞとも思ったのでした。
P.S.
予定ではシルデ先生は今年末、
関西にて講習会・講座を行われ、
私はそれに立ち会う予定でおります。
先生とご一緒で仕事ができることは、
本当に嬉しく、楽しみです!!
とはいえ、
浮かれてばかりでなく、しっかり勉強しなきゃ・・・(爆)
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