音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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◆ショパン《幻想ポロネーズ op.61》の冒頭の和音から見える達観した人生観

2010年10月06日 | ショパン Frederic Chopin
ショパン作曲
《ファンタジー(幻想)・ポロネーズ 変イ長調 作品61》は、

「ピアノの詩人」とも呼ばれる作曲家ショパンにとっての
生涯最後の、大きなピアノ独奏作品となりました。


(ちなみに
最後の作品は、op.65の《チェロ・ソナタ》
op.61からの間は、全て独奏曲ですが、
op.62は《2つのノクターン》、
op.63は《マズルカ集》、
op.64は《ワルツ集》、あの有名な《小犬のワルツ》を含みます。
ゆえに、
どれも小品の集まりばかり、なので《op.61》が
ショパンにとっての最後の最も大きな独奏曲と言うことができましょう)




この《幻想ポロネーズ》、
「変イ長調As-Dur」という調性がもたらされたこの音楽、

しかし、
冒頭の和音は、「変イ長調As-Dur」の主和音で始まりません・・・


同主調の短調である「変イ短調as-moll」の和音が、
力強い「f(フォルテ)」で、突如として奏でられるのです。


なぜ
「変イ長調As-Dur」であるはずの音楽が
「変イ短調as-moll」で始まる必要があるのか!?


ここで、
ショパンという人間の人生を振り返ってみますと・・・



20歳で故郷ポーランドを離れて、その7ヶ月後に祖国はロシア軍の手に堕ち・・・
自身は成す術なく、遠いフランスの地で暮らし、
十数年の異国での生活では良いことも悪いこともあり、しかし
《幻想ポロネーズ op.61》を書いた頃のショパンは、
愛人であるジョルジュ・サンドとも不仲になり、彼女の家族に良いように扱われ、
虐げられ、居場所を無くし、見も心もすっかり疲労困憊してしまった頃・・・
そして結局は、
二度と故郷ポーランドの地を踏むことなく、その生涯を閉じる・・・
自身がそうなるであろうことは、生前すでに既に分かっていたのかもしれず・・・


そういう、人生だったようです・・・



決して、諸手を挙げて喜び勇む人生とは言えなかったのだと思われます・・・


そんな彼にとっての音楽表現として、
「変イ長調As-Dur」である音楽とて、我が人生を振り返るならば、それは
「変イ短調as-moll」の和音の方がふさわしい・・・と!?


幾重もの苦渋を舐めたショパンの人生感が、
この名曲《幻想ポロネーズ 変イ長調》の冒頭の和音「変イ短調as-moll」に
込められているのかもしれません・・・


しかし、だからと言って彼は悲嘆にくれているのではありません。


すぐさま2拍目には、
「変ハ長調Ces-Dur」という、現世を深く超越したかのような
「♭(フラット)7個」という和音に至るのです。




「苦難を通して、平安へと」





ショパン作曲《幻想ポロネーズ 変イ長調》の冒頭、
「変イ短調as-moll」から「変ハ長調Ces-Dur」へと移る和音の動きに、
なんだか、
晩年のショパンの達観した人生感がうかがえるよう、思われました。













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