音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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■「天来の妙想」ベートーヴェン《ヴァイオリン協奏曲》 ~ 吉田秀和著『現代の演奏』より抜粋

2011年08月14日 | 吉田秀和
有名なベートーヴェンの《ヴァイオリン協奏曲》の、
あの冒頭のティンパニの開始について、
見事に・美しくまとめられた文章を
ご紹介させて下さい。


吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋


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ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。

この曲の冒頭にあるティンパニのソロは、
本当に天来の妙想とよぶ他ない見事な開始である。

実演できけば、あの音は本当に弱い。
それは、
音楽の中でしか私たちに啓示されない、
ある遥かな国からやってきた音の使いの足音であって、
私たちが、その音に気がつくのは、
音が鳴っている時というよりも、そのあとである。

〈おや、誰かが来たのではないか?〉
と、私たちは思う。その時は、もう、
あの素晴しく抒情的で暖かな第一主題が歌っている。

あの曲が初演された時、つまり、
あれが天にも地にも、はじめて鳴らされるのに立ち会った公衆の何人が、
はたして、あの四つ鳴らされるd(re)の音の全部をききとっただろうか。

いや、
今日の聴衆にしても、
あの音をすべてききとるためには、
曲が始まる前、指揮者がゆっくりと指揮棒をとり上げる前から、
注意をこらして、待ちうけていなければならない。

ということは、
今日の私たちは、もう、この曲が、
こういう神秘の国からの使いの足音というか、
戸を叩く音というかで、はじまることを知っているからで、
そういう時でさえ、
四つの音の全部をききとれるとは限らない。

そのくらい、あの音には、
音楽の生命がこもっている。

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