エドウィン・フィッシャー著『音楽観想』より抜粋
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誰かに対して、なにか特別の好意を示してあげたいと思うときには
いつも、わたくしは、ピアノに向かってその人のために
モーツァルトの作品を一曲演奏するのがつねである。
それに、いま、
モーツァルトについて何か書けという注文なのだ。
まるで、わたくしの大好きな人に向かって、
その人へのわたくしの愛情の種類や性質について
演説をしなければならなくなった時のような気持ちである。
そっとその人の手をとり、
あのすばらしい神の世界へ ―― 大自然が幾千の神秘な言葉で
われわれに囁きかけ、とうてい言葉では言いあらわせないものを、
わたくしたちが黙って心で感じとるあの神の世界へ ―― 一緒にはいって行きたいのに。
そうだ、「こころで感じとる」・・・これこそ
モーツァルトの音楽世界の核心に通ずるかくれた扉をひらく合言葉だ。
だが、「感じとる」こと、つまり体験というものは、
一朝一夕にして成熟するものではない。だからわれわれは、
われわれの誰でもがよく似た過程を繰りかえす或る種の成長の終結点に到着して、
ようやくモーツァルトを真に理解しうるに至るのである。
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