役職とは「地位」ではなく「役目」であるとすると、「人間は皆平等である」というひとつの真理は納得できる!? すると「地位」を求めて役職につこうとするのは間違った考え方ということに!?そして役職をこなすには能力が不可欠。報酬があるならそれ相応に!?なぞと考えました
ソチオリンピック総集編を見ながら・・・浅田真央選手、4年前の「銀メダルに悔し涙」、今回は「メダル無しに嬉し涙」とのこと・・・これの意味するところはとても大きい!? 世間的評価を越えた人間の生きる価値を、我々はここに確められるのではないでしょうか!?浅田選手・・・ありがとう!
練習の順序は、まずは初見で1、2、3回たのしむ!ちょっと楽しめたら(難しくて楽しめなくても)もう初見弾き状態はすぐさま!卒業し、勉強状態に移項すべし。そうでないと下手の上塗りが始まるから危険・・・理想的な指使いや和声を探し、標記を手中に収めるよう、無駄の少ない練習をすべし!?
「無駄が少ない」とは、さんざん無駄をやってきて体験してからこそ、「何が無駄」だか分かってくるのかもしれず、だから結局は「無駄なことは何もない」とも言えるのでしょうか・・・?私も色々と無駄なまわり道をしてきて、少しは無駄が何か判る歳になってきましたでしょうか(笑)
・・・なぞと言いながら、まだまだ自分を若輩者と感じる時も少なからずあります・・・音楽を感じ始め、表現をしたいあまりに体が実は無意識の内に硬直している時なぞ、まだまだ若輩者と思い知らされる瞬間でした・・・ いやはや
音楽を「歌いたい」という強い音楽的感受性があるがゆえに、体が固くなり、実は本当に美しい音楽が奏でられていない・・・ということがあるのかも!? 強すぎる「歌心」が「両刃の剣」となって自分を痛みつけることもあるのかもしれません・・・とはいえ!歌心は決して失ってはいけませんが!
強すぎる歌心でもなく、少なすぎる歌心でもなく、「ちょうどいい歌心」こそ望ましいと言えるのでしょうか。当たり前なことで可笑しくも思えるかもしれませんが、とても大事なことと思われます。たしかC.Ph.E.バッハの『書』にこのようなことが書かれていた記憶があります
まずは体感し、知性を持って整え(調え)、その高まったものをまた体感する、これぞジンテーゼ!?
音楽演奏において、「感性」と「知性」は両方とも大事で必要ですが、最近ではすっかり「感性」の優位性を思う今日この頃です。まずは感性(感じること)ありき。知性は、それに追従するか、もしくは補佐(監督!?)をする立場にあるのがよさそう?
知性が先行し過ぎると、いわゆる「頭でっかち」の状態で、感性の反応しない理想的な状態とは違う方向へ行ってしまう危険があるのでは!?と思いました。知性で感性を無理強いしてはいけない!?
そう考えていると、なんだか感性は「選手」のようで、知性は「監督」のように思えてきました。現場で実際に動くのは選手である感性、それを監督する知性・・・どうでしょう?
だから監督(知性)があまりに高圧的に選手(感性)を押し付けては、きっと良いプレーは出来ないでしょうか・・・野放しが危険なこともあり、または何もしないで任せるのがいい時も!? 監督がグイグイ引っ張るのがいい時もあるかもしれず、これは、実に微妙で難しい仕事とも思われます!
「力を抜かねばならない」というのはとても困難な課題なのかも・・・ 余分な力が入っているなら、抜くことは考えず、そうなってしまう理由(別の場所で働きが足りない所があったり!?)を見付け、そこを仕事させ、余分な力は「抜けている」状態を目指すと、うまくいくかも!?
「間違うこと」それ自体は、そんなに悪いことではない。(仕方ないことでもある?)悪いのは「間違いを繰り返すこと」!? こう考えると、「間違ってはいけない!」という強迫観念がもたらす不必要な「硬直(体も音楽も)」を起こさないことができるよう、思いました。
硬い体からは、硬い音楽が奏でられる・・・ よい体(の使い方)からは、よい音楽が奏でられる・・・ 演奏において「体」と「音楽」は不可分!?
なので「ミスタッチをしないこと」を過剰なまでに目標とする音楽教育の方向は、様々な弊害をもたらすものと思われ、違和感を感じます・・・! 演奏者本人だけでなく、周囲の人間、業界全体を「硬直」させる悪しき考え方は、もう野放しにしてはいけないと思います!これは不幸せをうみます(悲)
ミスタッチを許す、というわけではなく、これが繰り返されるようであったら、それがコンサート等の本番であるなら、失敗ということになってしまうでしょう・・・大事なのは「間違いを繰り返さないこと」、こう考えるのは、いかがでしょうか!?
素晴らしい演奏家も、ミスは少なからずしています。しかし彼らは、それをひどく繰り返しはしないのではないでしょうか!? だから「名手」なのでは!?
最近、久し振りにミケランジェリの演奏を聴きましたが、「ミケランジェリはミスタッチをしない」という言われは、嘘です・・・ とても少ないですがミスはしています。しかしだからといってこの人の音楽演奏の価値は下がりません!素晴らしさは違うところにあるのだと思います!
音楽演奏における「ミスタッチ」の問題は、考察に値する重要なことと思われます。その是非を、確かめたいものです。
「メモをする・書き記しておく」という行為は、大事なことを忘れないよう望むものですが、しかしこれが「記憶力」という、古来「叡知」のひとつと言われる大事な能力を甘やかすことになるのではないだろうか・・・!?と以前から心配しています・・・自分にその気があるので(自爆)
しかし、やはり大事なことは忘れたくなく残しておきたい! 過去の大家達の多くは、考えを書き残すノートを持っていたとか!? なので、「記憶力を甘やかさない」よう心掛けることで、メモしながらも記憶力を養うことは・・・出来るのでしょうか?