音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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最後のコンサート…マリア・ジョアン・ピリス

2018年04月13日 | ◆一言◆
昨夜はサントリーホールにて、
ピアニストのマリア・ジョアン・ピリスさん、
・・・引退を表明されているとのこと・・・ゆえに、
彼女の演奏を聞くことは、これで最後になるであろう、
コンサートを聞きに行ってきました。

プログラムはベートーヴェンのみ。
チラシには演目の真ん中にシューベルト《即興曲集》とあったのですが、
変更されたよう。

前半、
●ピアノ・ソナタ 第8番 op.13「悲愴」
●ピアノ・ソナタ第17番 op.31-2「テンペスト」
後半、
●ピアノソナタ・第32番 op.111

・・・空席が数えるほどしかない、これぞ満員!?という会場には、
いつになく神妙な奏者を待つ独特の雰囲気がありましたでしょうか・・・
だって、引退を宣言されている世界的な奏者の最後かもしれない本番なのだから・・・

聴衆の雰囲気を観察していると、これまた興味深く思われ、
このピアニスト・ピリスさんの人となり・芸術家としての在り方に
呼応しているような人々(真面目?質素?でも内心では強く音楽を愛している?)が
二千人も集まっているというようで・・・凄く印象的でした。

小柄なピリスさんが現れ、相変わらずの短い髪形、
相変わらずのご様子に、なんだか安堵の気持ちが現れたりもしました。
話が飛んでしまいますが、終演後、
以前ワークショップに参加させいただいたり、
音楽家として生きてゆくための相談にのって下さったこともあり、
ご挨拶に行かせていただいた際、ステージ上では全然気付かなかったのですが、
髪の毛の内側がだいぶ白くていらして、あぁ・・・年齢を重ねられていたんだ、と、
直接お会いしたことで、それが分かったのですが・・・
ステージ上では、そんな様子はほとんど分からなかった・・・です。
気さくで、満面の笑顔、「Good Luck!」と若い(!?苦笑)ピアニストである私を
気にかけて下さるそのお気遣いも相変わらず・・・本当に素敵な人間・有難いお方です。

演奏が始まり、緊張感ある会場の雰囲気・・・
奏者のあがりもあるでしょう、思わぬミスにご自身も悔しいでしょう、
しかしそれをさて置き、懸命に音楽を奏でる意思に揺らぎはなく、
たった一人の小柄な女性が、真剣に音楽を奏でているその姿・・・
その音を操る技術、音楽を感じ、時には意味深に、表現せんとする
奏者の心意気と実際の行動に、我々は、やはり心を打たれるのです・・・

小柄でいらっしゃること、上記に何度も書いておりますが、
これはピリスさんの、ピアニストとしての特徴として
切っても切れない関係ある大事なことと、改めて思われました。

もう全然、無理に大きな音を出そうとはされない。
暗譜で弾いているのに、譜面台がピアノの内部に入ったままなのは
彼女にとって不必要な大きな音が自分に聞こえて来ないようにとの
音響的な理由があるのではないでしょうか・・・
ピアノという楽器は、譜面台を外すと、わずかではありますが、
また一段と音量や音色等の表現が増すものです。
しかし、それをされないピリスさん・・・

それでも、大きな音が出てきます!もちろんベートーヴェンの音楽ですから!
体をのけぞらせて力強く奏でる姿からは、まさにそのような音楽が
(・・・どのような!?力強く生きてゆかんとする表現のような!?)
そのまま表れて来ているようにも感じられました・・・
これ、世阿弥のいう、所作と音曲の一致!?

小柄ゆえに、高い音域で弾く時には、お尻ごと体全体を右側に移動したり、
低い音域ではその逆に動いたり・・・それも、
彼女にとって、ピアノを奏でる上での必然の動き、
全てがご自分でよく勉強された上で出てくる身体と演奏との合致は、
演奏芸術と呼んで然るべきものと思われました。

小柄ゆえ、オクターブ以上が届かないよう、和音をバラして弾いている際も、
音楽の流れを妨げることは決してない、不自然に聞こえることは全くない
上手なごまかし方(と言って悪ければ、処理の仕方)は、本物の音楽家の証!?

ところで、私も音楽を勉強している身ゆえ、
ベートーヴェンが楽譜に書いていることが脳裏に多少残っており、
「ff」と書かれているところが静かに演奏されていたり、
逆に「p」というところが大きな音で奏されていたり、
「cresc.」という記載が、聞こえなかったり・・・etc.
そういう際には、悲しいかな、私は疑念が頭をよぎり、
せっかくピリスさんが奏でている音楽に没頭できないことも少なからず・・・
だからといって、
その「楽譜に書いてあることを忠実に実行していない」ことを
非難する気持ちは、沸いてきませんでした・・・

小柄な女性ピアニスト、マリア・ジョアン・ピリスとして数十年(半世紀!?)に渡り、
真摯に・誠実に・真剣に音楽に向かい合ってきた人間が
楽譜に書いてはいないけれど・・・自由に・・・懸命に、
その時その場でご自分に出来る最上の音楽を奏でんとしていらっしゃることは・・・
演奏芸術としての存在価値を否定できるものではありませんでした・・・
クラシック音楽の勉強を続けている身の上としては、複雑な思いを抱いてしまうのは・・・
ちょっとなかなか辛いところですが・・・しかし、これもまた勉強!?

小柄なピリスさんゆえに、彼女に出来る最上の音楽を奏でんとする際、
作曲者が求めた「ff」という音が、悲しいかな!?現実として彼女に出せないのなら、
それでも、その楽曲が、よりよく響き渡る最善の策を吟味し、
そして、数千人の人々の前で、その本番の音楽を奏でる・・・

音楽演奏家としての、ひとつの偉大なお手本が、ここにあったのでしょうか。

忠実と自由・・・
矛盾するように見える二つの態度ですが、
私はこう考えました、
今のピリスさんなりに出来る、よりよい演奏をしようとする意思と実行力は、
上記の枠を越えた素晴らしい音楽を実現させた、
立派な成功を成し遂げられた・・・やっぱり、
素晴らしい音楽家ピアニストなんだな!!と。


ベートーヴェン最後のピアノソナタ《op.111》の終楽章では、
変奏を離れた後、禅問答のような音楽となります。

「muss es sein?(must it be?)」
「es muss sein(it must be)」

ベートーヴェン自身が、本当に最期の頃に筆談に残したという言葉が
そのまま当てはまるかのよう・・・ピリスさんご自身、
何をご自身に・音楽に・問いかけていらしたのか!?
・・・感動を抑えられない、瞬間でした・・・






追記:
アンコールもまた斬新!?
聞いたことのない、シンプルかつ歪(いびつ)!?とも思われた小品・・・
私は、ピリスさんの知り合いの才能ある子供が作曲したものだろうか!?と
思われたのですが、ご自身に伺ったところ・・・
それは、本当の最晩年にベートーヴェンが書いた《バガテル》とのこと!!

そんな曲の存在を、私は知りませんでした・・・

アンコールが不可能!?とよく言われる《op.111》の後に、
じつによくしっくりくる、素敵な音楽でした。

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