日本における音の響き、
ヨーロッパにおける音の響きには
違いがあるとよく言われます。
端的に申し上げまして、これはどうも事実のようです。
どういう風に違いがあるのか?
簡単に申し上げてしまいますと、
ヨーロッパの音の響きは、あるひとつの空間にて音を出してみると、
その空間全体に響き渡るような、音が広がるような感じがいたします。
ヨーロッパでの音の響きに比べてみると、日本での音は
残念ながら多少響きが少ない・鈍いといえましょうか・・・
(一口にヨーロッパと行っても、広い地域ですので
一概にはなかなか言えないとは思うのですが・・・)
まんが《のだめカンタービレ》で、
主人公「のだめ」が、日本を去ってパリ留学を始め、
パリでのアパートのグランドピアノを初めて弾いたときに
響きの違いに唖然とするシーンがあったように覚えていますが、
あの描写は、見事!!だと思います。まさに、あんな感じ。
日本の響きに慣れている耳から、
初めてヨーロッパの空間で音を出したときの、
あの「最初の一音」を出した瞬間に空間に響き渡る音の感動は、
以前自分も体験いたしましたし、今でも思い出すことができます。
ピアノ弾きの宿命として、その場にある楽器でしか
音を奏でることができないのですが、楽器は違えども、
豊かに空間に響き渡る音の違いを感受することはできます。
「のだめ」のように。
自分の楽器をあらゆる場所に持ち歩いては音を出す弦楽器奏者や
管楽器奏者、あるいは歌の方などは、
さらに顕著に日本とヨーロッパにおける自身の音の響きの違いを
強烈に痛感されるのではないでしょうか?
なぜ違いがあるのか?
なぜなのでしょうね・・・残念ながら、
明確にその答えを出すことは、今の自分にはできません。
よく言われているのは、
「湿度の違い・空気の違い」とか、あるいは
「建物の構造の違い」といった原因が
響きの違いを生み出しているのではないかという推測。
端的にヨーロッパでは、石造りの家が非常に多いといえましょうか。
それに比べて、日本の建物はまだまだ木造が多いと。
木造の室内に響く音と、石造りの硬質な反響体をもつ室内で
音の響きの違いがあると言われれば、そんな気もします。
でも、
日本にも、石造りの建物はたくさんありますよね?そこでは、
どういう風に音が響くのだろう・・・今度じっくり試してみなければ。
それにしても、
こんなにもヨーロッパと日本において響きの違いがあるのならば、
ここ日本においてヨーロッパの音楽を真に奏でることは
不可能なのでしょうか?
私は、決してそうは思いません。
「豊かな響き」は、もちろん心地よいもの。
演奏者はよりよい「響き」を求める努力を怠ってはなりません。
しかし、
「響き」というのは、いってみれば「音楽」におけるひとつの要素。
重大な要素のひとつではあるけれど、それが全てであると
考えてしまっては、偏ってしまうようです。
音楽の根本的な存在理由を考えるのであれば、
衣食住に続いて我々人間に幸か不幸か付きまとう「精神」と「心」の
栄養補給ができる手段が「芸術」であり「音楽」であるのならば、
そこに「音楽」が響き渡って
人々の心に・精神に充足をもたらすに至る理由は、「豊かな響き」
の他にも、様々な可能性があると考えられそうです。
今回の帰国においても、
ピアノの鳴り・響きの違いは認めざるをえないものの、
「音楽そのもの」を追い求めようと考えるのならば、
多くの有意義で充実した音楽活動は不可能ではない
という手ごたえは確かにありそうです。
日本とヨーロッパに響きの違いがあるであろうという事実は
事実として受け止め、ヨーロッパに渡る際にはそれを愉しみにもして、
しかし、
そこに必要以上のコンプレックスを抱くことのないよう、
音楽の愉しみを追い求めていきたいものです。
ヨーロッパにおける音の響きには
違いがあるとよく言われます。
端的に申し上げまして、これはどうも事実のようです。
どういう風に違いがあるのか?
簡単に申し上げてしまいますと、
ヨーロッパの音の響きは、あるひとつの空間にて音を出してみると、
その空間全体に響き渡るような、音が広がるような感じがいたします。
ヨーロッパでの音の響きに比べてみると、日本での音は
残念ながら多少響きが少ない・鈍いといえましょうか・・・
(一口にヨーロッパと行っても、広い地域ですので
一概にはなかなか言えないとは思うのですが・・・)
まんが《のだめカンタービレ》で、
主人公「のだめ」が、日本を去ってパリ留学を始め、
パリでのアパートのグランドピアノを初めて弾いたときに
響きの違いに唖然とするシーンがあったように覚えていますが、
あの描写は、見事!!だと思います。まさに、あんな感じ。
日本の響きに慣れている耳から、
初めてヨーロッパの空間で音を出したときの、
あの「最初の一音」を出した瞬間に空間に響き渡る音の感動は、
以前自分も体験いたしましたし、今でも思い出すことができます。
ピアノ弾きの宿命として、その場にある楽器でしか
音を奏でることができないのですが、楽器は違えども、
豊かに空間に響き渡る音の違いを感受することはできます。
「のだめ」のように。
自分の楽器をあらゆる場所に持ち歩いては音を出す弦楽器奏者や
管楽器奏者、あるいは歌の方などは、
さらに顕著に日本とヨーロッパにおける自身の音の響きの違いを
強烈に痛感されるのではないでしょうか?
なぜ違いがあるのか?
なぜなのでしょうね・・・残念ながら、
明確にその答えを出すことは、今の自分にはできません。
よく言われているのは、
「湿度の違い・空気の違い」とか、あるいは
「建物の構造の違い」といった原因が
響きの違いを生み出しているのではないかという推測。
端的にヨーロッパでは、石造りの家が非常に多いといえましょうか。
それに比べて、日本の建物はまだまだ木造が多いと。
木造の室内に響く音と、石造りの硬質な反響体をもつ室内で
音の響きの違いがあると言われれば、そんな気もします。
でも、
日本にも、石造りの建物はたくさんありますよね?そこでは、
どういう風に音が響くのだろう・・・今度じっくり試してみなければ。
それにしても、
こんなにもヨーロッパと日本において響きの違いがあるのならば、
ここ日本においてヨーロッパの音楽を真に奏でることは
不可能なのでしょうか?
私は、決してそうは思いません。
「豊かな響き」は、もちろん心地よいもの。
演奏者はよりよい「響き」を求める努力を怠ってはなりません。
しかし、
「響き」というのは、いってみれば「音楽」におけるひとつの要素。
重大な要素のひとつではあるけれど、それが全てであると
考えてしまっては、偏ってしまうようです。
音楽の根本的な存在理由を考えるのであれば、
衣食住に続いて我々人間に幸か不幸か付きまとう「精神」と「心」の
栄養補給ができる手段が「芸術」であり「音楽」であるのならば、
そこに「音楽」が響き渡って
人々の心に・精神に充足をもたらすに至る理由は、「豊かな響き」
の他にも、様々な可能性があると考えられそうです。
今回の帰国においても、
ピアノの鳴り・響きの違いは認めざるをえないものの、
「音楽そのもの」を追い求めようと考えるのならば、
多くの有意義で充実した音楽活動は不可能ではない
という手ごたえは確かにありそうです。
日本とヨーロッパに響きの違いがあるであろうという事実は
事実として受け止め、ヨーロッパに渡る際にはそれを愉しみにもして、
しかし、
そこに必要以上のコンプレックスを抱くことのないよう、
音楽の愉しみを追い求めていきたいものです。