音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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◆シューマン《謝肉祭》の終曲前《Pause》の日本語訳の問題 ~ 「休憩」「休息」ではなく「幕間」

2010年09月18日 | シューマンRobert Schumann
R.シューマン作曲のピアノ曲《謝肉祭 op.9》


終曲《フィリシテ人に対抗するダヴィッド同盟員の行進》のひとつ前は、
原題で《Pause》という曲名が作曲者により付けられています。

《謝肉祭》全体を聴くと、
この音楽のパッセージは以前耳にしていたと思い出されるはずで、
それは《謝肉祭》の冒頭《Preambule(前口上)》の後半部分に
ほぼ全く同じ音が使われていて、そこでは
次の曲《Pierrot(ピエロ)》へと進みました。


ところで、
この《Pause》という曲・この言葉・・・
日本語の訳仕方次第で、
大きな違い・はたまた解釈に関する
大きな誤解が現れてしまうのではないだろうかと、
ふと、危険に感じました・・・


《Pause》という言葉は、
「休憩・休息」という意味があります。

例えば、演奏会の前半と後半の間の「休憩」を
ドイツ語では「Pause」と言います。

あるいは、
音楽用語としては「Pause」は
「休符」という意味に使われています。

いずれにしろ「休み」という意味合いのもの。



では、
この音楽《謝肉祭》においては、
終曲・フィナーレに至るひとつ前のこの曲《Pause》を
果たして《休息・休憩》と訳し・理解してよいものかどうか・・・


実際に音楽を聴いてみますと、
目まぐるしく駆け回る沢山の音符達、
演奏する側も、聴く側も、わくわくどきどき・・・
どうにも呑気に「お休み」という雰囲気ではありません・・・


そこで、今一度この曲冒頭の題名を思い出してみますと、
《Preambule》日本語で「前口上」

「前口上」という言葉、
あまり今日のわれわれの普段の生活では
聞かないものでしょう。

これは、演劇の世界、
劇が始まる前、まだ幕が開いていないところ、
俳優・役者が幕前に立って、観客に向かって挨拶・あらすじを述べるなど、
そのようなシチュエーションが想像されるものです。

よって、この《前口上》という曲が存在することから、
このシューマンの音楽《謝肉祭》には
「戯曲的性格がある」と解釈することが可能でもあり、
すると、
この曲の終わり近く、《Pause》というのは
単なる「休憩・休息」と解するのではなく、
幕が一度おりてきて、舞台裏では忙しく舞台転換の準備に人々が走り回る状態、
すなわち
「幕間」
という言葉の方が当てはまるのではないかと思うのです。


前の曲《Promenade(散歩)》で、一通りの物語の終わりを迎え
(まるで二人の男女が手を振ってお別れをしているよう!?)
しかし、これは《謝肉祭》、
湿っぽく終わるのでは祭りの様子と合点いかず、
華々しく、にぎやかに終わりを迎える必要がある、だから、
一度幕を引き、

《Pause(幕間)》中に舞台転換をして、
そして終曲《フィリシテ人に対抗するダヴィッド同盟員の行進》にて
大団円を迎えるという・・・

ピアノ作品の膨大なレパートリーの中でもひときわ輝く名曲のひとつ、
シューマン《謝肉祭》を理解し、愉しむためにも
この《Pause》は「休息・休憩」ではなく、
「幕間」という言葉を使った方がよいのではと、ここに提案してみたいと思います。







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