全てを少しずつ。人は普遍的であると共に、全てのことについて知りうる全てを知ることができない以上は、全てのことについて少し知らなければならない。なぜなら、全てのことについて何かを知るのは、一つのものについて全てを知るよりずっと美しい故に。このような普遍性こそ、最も美しい。§37
— ブレーズ・パスカル (@B_Pascal_jp) 2016年6月17日 - 13:08
一般によくない読み方の主要な要因として、リズム上の不器用さ、あいまいさがある。ここからしても、リズム、他の要素より一歩前へ先へと進んだものでありたい。
— Kodály Zoltán (@Kodaly_bot) 2016年6月17日 - 12:09
意志の客体性の高い段階では、個性というものがかなり際立って見える。ことに人間の場合、個性は、個々人の性格の大きな差異性つまり完全な人格性として、体のつくり全体をも含むはなはだ特徴的な個々人の人相によって、すでに外面にも表現されている。
— ショーペンハウエルbot (@Schopen_bot) 2016年6月17日 - 13:16
ー兎に角それらの歌にはロシア民謡の何の美しさも感じられなかったし、その旋律の1つも覚えていない。だが、私は無意識の中にそれらの歌から影響を受けていたことは確かだ。というのは、私はロシア的素材による作曲になると、非常にすらすらとやれるのだ。
— セルゲイ・プロコフィエフ (@Prokofiev_bot) 2016年6月17日 - 13:08
ドビュッシー作曲《塔Pagodes》の楽譜をあらためて見ながら弾いていて・・・ドビュッシーには珍しい、色々な記載があるなぁ・・・と思いました。
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年6月17日 - 19:56
ドビュッシーのピアノ曲にはペダルの指示はほとんどありません。しかしここにはある・・・珍 pic.twitter.com/Wph4TFEW23
ドビュッシー作曲《版画》より《塔》、実に長いペダル指示です。よく見ると、ペダルをはなす場所も正確に指示されている・・・
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年6月17日 - 20:05
もうひとつ問題があり、恥ずかしながら私はまだ解明できていないのですが「2Ped」・・・2とはいったい何なのか!? pic.twitter.com/E4ZT4uPq1B
ドビュッシー作曲《版画》より《塔》の最後。laissez vibrerは「(響きを)震えさせたまま」、ペダルをしっかり使って、和音が長く響き続けることを意図した記載と解釈できましょう。
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年6月17日 - 20:09
沢山のペダル、ドビュッシーピアノ芸術の要です pic.twitter.com/JTVv4dYLY6
ドビュッシー作曲《版画》より2曲目《グラナダの夕べ》、ペダル指示は曲中ほとんど無く、しかし最後になって書かれています。1小節毎にペダル踏み換えの理由は、1小節毎に微妙にハーモニーが、長調・短調などと変わるからでしょう。 pic.twitter.com/xYIhZ36pQS
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2016年6月17日 - 20:19