13:26 from Keitai Web
ドビュッシーが「メトロノームのように」と自身の作品が演奏される際に強く望んだのだそうです。これはもしかすると「余計なことはするな」の意なのかも!?と、ふと思いました。
13:29 from Keitai Web
ショパンに引続き、あんなにも「ルバート」を多用した作曲家ドビュッシーが、「メトロノームのように」と要求する矛盾!?いやこれは、「揺れるべき音で揺れて、そうでないところでは余計なことをしない」という高度な音楽性を表しているのかもしれません。
13:33 from Keitai Web
では「揺れる(ルバートす)べき音」とは!?最近の私の研究成果からは、それは倚音であったり掛留音であったり、あるいは転調するポイントとなる音や、あるいは沢山の装飾音のある時、などなどが揺れてよい(いや、揺れるべき!?)音楽のところ、と考えております。
13:42 from Keitai Web
ドビュッシー曰く「音楽とは分散している力の統合のようなものだ・・・。自然の中の《眼に見えない》ものへの感情の移入である。森の神秘を木の高さではかる者がいるだろうか。むしろ、それは想像力をどっと湧き出させる、測るすべのない森の深さではないだろうか」
13:50 from Keitai Web
ドビュッシーについてまわる「印章派」という我々の常識が、ドビュッシーの作品を真に理解する大きな妨げとなる!?かもしれない、と、研究を続けていると思えてきました・・・ この常識を超えるのはすごく大変!?
13:52 from Keitai Web
常識が、すべて悪いわけではないでしょう。大事な、真実に即した常識もたくさんあるでしょう。しかし、真実に即していない、間違った常識もあるのかもしれない!?ことに注意し、時々に気を付けるべきなのかもしれません。
14:00 from Keitai Web
ドビュッシーのいくつかの作品に《Image》がありますが、これはもしかすると、《映像》と訳してしまっては視覚的ニュアンスが強すぎて、印象派絵画との誤った関連につながってしまうかも!? 分かりやすくは《イメージ》と言ったほうがいいかも!?いっそ《イマージュ》と仏語読みがいい!?
by pianistGS on Twitter
ドビュッシーが「メトロノームのように」と自身の作品が演奏される際に強く望んだのだそうです。これはもしかすると「余計なことはするな」の意なのかも!?と、ふと思いました。
13:29 from Keitai Web
ショパンに引続き、あんなにも「ルバート」を多用した作曲家ドビュッシーが、「メトロノームのように」と要求する矛盾!?いやこれは、「揺れるべき音で揺れて、そうでないところでは余計なことをしない」という高度な音楽性を表しているのかもしれません。
13:33 from Keitai Web
では「揺れる(ルバートす)べき音」とは!?最近の私の研究成果からは、それは倚音であったり掛留音であったり、あるいは転調するポイントとなる音や、あるいは沢山の装飾音のある時、などなどが揺れてよい(いや、揺れるべき!?)音楽のところ、と考えております。
13:42 from Keitai Web
ドビュッシー曰く「音楽とは分散している力の統合のようなものだ・・・。自然の中の《眼に見えない》ものへの感情の移入である。森の神秘を木の高さではかる者がいるだろうか。むしろ、それは想像力をどっと湧き出させる、測るすべのない森の深さではないだろうか」
13:50 from Keitai Web
ドビュッシーについてまわる「印章派」という我々の常識が、ドビュッシーの作品を真に理解する大きな妨げとなる!?かもしれない、と、研究を続けていると思えてきました・・・ この常識を超えるのはすごく大変!?
13:52 from Keitai Web
常識が、すべて悪いわけではないでしょう。大事な、真実に即した常識もたくさんあるでしょう。しかし、真実に即していない、間違った常識もあるのかもしれない!?ことに注意し、時々に気を付けるべきなのかもしれません。
14:00 from Keitai Web
ドビュッシーのいくつかの作品に《Image》がありますが、これはもしかすると、《映像》と訳してしまっては視覚的ニュアンスが強すぎて、印象派絵画との誤った関連につながってしまうかも!? 分かりやすくは《イメージ》と言ったほうがいいかも!?いっそ《イマージュ》と仏語読みがいい!?
by pianistGS on Twitter